爆サイ.com 南東北版

📺 TV実況中継


No.10749044
合計:
#45
>>38
幕府の命令とかうそつき〜

江戸時代、甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場の高井戸までは距離があり、旅人は難儀をしていた。そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年(寛永2年)には住民の願いにより太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現:青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、そのように呼び習わすこととなったという。

1697年(元禄10年)、甲州街道における新たな宿場の必要性や行楽地づくりを念頭に、当時の浅草安倍川町の名主であった喜兵衛ほか同志4人が5,600両の上納とともに宿場開設を願い出て、翌年、内藤家の中屋敷の一部を利用して宿場が開設され、内藤新宿と称される。ここから新宿の名が誕生した。なお、宿場開設を申し出た喜兵衛は高松喜六と名乗り、高松家は代々新宿の名主を務めた。


[ 匿名さん ]
TOP