>>40
「そのような状態だと思っている、
その理解がすでに無為では無い、というジレンマに陥っております」
わかってんじゃんか。そう、絶対に無理なんだよ。
アーラヤ識ってのは、言ってみれば音で言う「真空」。
介入できない領域だと分かってるから「アーラヤ識」であって、
外側から観照するとか言う表現で認識するもんじゃないってこと。
ジレンマとかそういう話ではなく、
認識を棄てるなら言葉も要らないし、
そもそも「アーラヤ」という表現も必要ないってこと。
誰にでもその領域を「イメージ」することはできるが
干渉はできない。
1次元は点の世界であるが、面の要素がないと面積の概念が出ない。
2次元は面の世界であるが、PC画面でも言えるとおり、
「画面」でも3次元を表現できる。だが立体の干渉はできない。
3次元は立体の世界であるが、一度過ぎた位相点は
元に戻すことが出来ない(時間は干渉されない)
アーラヤ識も同じ事で、六識および六識があることで
理念を埋めるように存在するマナ識があり、
その概念に影響されない形式でアーラヤ識が存在する。
存在するという形式も既に干渉の領域であり、
概念を謳う以上全く意味の成さない認識になる。
結局
>>36で言った内容が一番妥当性のある意見と
結論づく。