夫は、なぜか猛然と腹が立ち、お釈迦様に食ってかかった。
「そんな出任せ言って、妻に麦こがしを出させよって。取るに足らぬ布施で、そんな果報が得られるものか」
お釈迦様は静かに言われた。
「そなたは世の中で、これは珍しいというものを見たことがあるか」
“いきなり何だ”。男は戸惑いつつも、お釈迦様の問いかけに答えを探し始める。
村の多根樹を思い出した。
「ああ、それなら、あの多根樹ほど不思議なものはない。一つの木陰に五百両の馬車をつないでも、まだ余裕があるからな」
「ほう、そんな大きな木なら、タネはひき臼ぐらいはあるだろう。それとも飼い葉桶ぐらいかな」
お釈迦様の問いに、男はすかさず、
「とんでもない。そんな大きくはないさ。ケシ粒の四分の一ほどだよ」。
「そんな小さなタネから、あんな大木になるなんて、誰一人信じないね」
お釈迦様の言葉に、男は大声で反論した。
「誰一人信じなくとも、オレは信じている」
ここでお釈迦様は言葉を改められた。
「麦こがしのような小さな善根でも、やがて強縁に助けられ、ついにはさとりを開くこともできるのだ」
当意即妙の説法に、自分の誤りを知らされた夫は、直ちに非をわびた。
夫婦そろって仏弟子となったのである。
*麦こがし……大麦を炒って焦がし、臼でひいて粉にしたもの
私たちは、こんな小さな行いをしても、何も変わらないと思うことがあります。しかし、場合によっては、小さな行いが、ものすごく大きな結果を生み出すこともあります。
小さな行いもおろそかにせず、悪いことをやめて、よい行いに励んでいきましょう。