保田妙本寺が日蓮の正統なら、その完全会員制ゴルフ倶楽部のような閉鎖的な体質を改めなければならないのでは。
正式な檀家の紹介がないと信徒にもなれないなんて京都祇園のお茶屋さんみたいだね。
京都と言えば東山三条の要法寺でも隔離が厳しいという話を聞いた。
世間は謗法という穢れに染まっているから、その穢れを山内に入れたくないという冷淡な態度だったそうだ。
どうやら日蓮の唱えた広宣流布の理想は日興の門流に於いては御飾りに過ぎないようだ。
日蓮や弟子達は積極的に社会矛盾に苦しむ庶民の中に飛び込んで布教活動をしている荒武士の風があったが、今の富士門流諸山は、閉塞された世界にお籠りする御公家さんと化している。
これは日興門流特有の謗法厳をたてにとった選民主義である。
このような閉鎖的体質は何も日興の末流の堕落のみが結果として招いたものではない。
その異常なまでの閉鎖的体質の淵源は、日興その人である。
彼は師匠日蓮の秘書的な役割を担っていたが、彼の信者への態度は平等なものではなかった。
彼は領主・地主のような 社会的支配階層に属する旦那と庶民・小作人等の被支配階層との間に厳格な区別を、否、差別基準を設定していたことを示す数多の自筆資料を遺している。