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🕌 宗教総合


No.3944547
合計:
#402
>>394
その脇書、実は有るのか無いのか、化粧直しの調査の際に関係者ですら未確認だったそうです。
実は脇書そのものは当該本懐の授与書だから信仰の対象たる本尊そのものの一部ではありません。
実際に日蓮や他の高弟達の書いた本尊の脇書が削除されて新たに書き換えられてあるケースがあります。
平たく言えば本尊の再使用みたいなものです。
脇書には本尊を与えられた人が亡くなって受け継ぐ人がなかった場合に、一度は返却されて寺に戻った本尊を新たな授与の名前を書いて下付したのでしょう。
本尊の脇書とはそのような性質のもので本尊その
ものの性格を確定する讃文とは異なります。

日蓮正宗が主張するように本門戒壇板本尊が他の日蓮図顕の本尊と比較して隔絶した地位を占める本尊なら脇書ではなく讃文そのものにその主旨を表明する文章が書かれているはずです。

保田妙本寺が所蔵する万年救護本尊の讃文には日蓮自身が、この本尊は如何なる本尊か、また自分が如何なる自覚の元にこの本尊を図顕したのかが明確に記述されているので日蓮の思想をしる上で極めて貴重な本尊と言え一部の研究者の間では重要文化財に指定してもよいくらいだとの意見があったのは知る人ぞ知る事実です。

ところで本門戒壇板本尊の讃文には戒壇安置の本尊たる由縁が日蓮自身の筆で書かれているのでしょうか。


[ 匿名さん ]
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