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🕌 宗教総合


No.3944547
合計:
#622
>>620
『無量義経』は羅什が『法華経』を訳した百年後の訳となっていますが、最新の研究では、より新しい可能性があります。
天台の流れの初期に当たるので、『法華経』の優位性を強調するために6世紀に体裁を整えた可能性がありますか、あの日蓮正宗のことです。
確証かないと言うでしょう。
しかし『無量義経』の創作者は決定的な思い違いをもとに重大なミスをおかしています。
『法華経』に説かれた『無量義』のサンスクリットはマハーニルデーシャ
ですが、現代語訳では「大いなる、はかりしれなく分別されしありかた」となります。
理法から万法が生まれると言う意味ではなく、理法すなわち万法です。
そこには「無量義は一法より生ず」と言う無量義から一法への帰納法は認められません。
中国に於いてはサンスクリットから漢訳されると原典は棄てて顧みられることはないため、後世の創作者は『無量義』に爾前と言う意味を持たせ一法に真実と言う意味を持たせて創作したのです。
そこで四十余年未顕真実の文句を平気でのたもうたわけです。
要するに『法華経』を補強するために撰述されたはずの『無量義経』の「無量義」は『法華経』の「無量義」とは相違するので、その視点で『無量義経』を読むと天台経典であることがよくわかりますよ。


[ 匿名さん ]
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