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🕌 宗教総合


No.3944547
合計:
#694
>>693
日精は江戸の法詔寺で貫主に就任していますが、その頃の大石寺は度重なる火災で荒廃がかなりひどく、彼のパトロンだった敬台院殿は伽藍の復興に尽力しています。
寺社奉行本多弾正少弼との間に交わした書簡や大石寺の根檀家に交わした書簡には当時の厳しい事情が克明に記されています。
日主当時の伽藍からかなりずれた場所に御影堂は建立されています。
日主当時の御影堂は現在の二天門あたりに立っていました。
今の御影堂は室町時代の墓地の上に建ってます。
なにからなにまて徳川幕府と敬台院殿のお陰様で江戸初期の再建寺院である大石寺は大名小名の菩提所として再興の許可が幕府から下りています。
今の大石寺は敬台院殿が作ったと言っても過言ではありません。

彼女は日蓮所縁の多くの遺物を蒐集し、坊さんが勝手に売り払うなみたいな事を書き残しています

ひょっとすると、ことによると、日蓮正宗の重宝・秘宝の数々は、この時代に集められたり、新たに造られたものかも知れませね。
敬台院殿の言い分では大石寺は私のものよですからね。
まさか!本門戒壇本尊も日有の時代のものは失せて江戸初期の作ってことはないよね!?


[ 匿名さん ]
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