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>おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。
どちらでそう理解されているのかお教えいただきたい
具体的な著作物等、参照
お筆先の三号に、
「この話、悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」とあります。
この話というのは、おやさまの教えのことですが、直接的には、前のお筆先に知らされてあります。
「柱さい しいかりいれた事ならば この世確かにおさまりがつく」 三号13
「この話 悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」 三号14
つまり、「この世を治めるこの話とは、悟りばかりの話であるという事ですから、悟るのは「人間」です。
人間が悟り、証拠ためしをする。
それに対して「たすける」のが神であるという事は、「この世を治める・たすけ」とは、人間が悟って行うことに対してという範囲で理解するなら、
「助力」と言うことですから、「助け」です。
「救済」という「救け」というのは、人間が成し遂げるべきことであり、それに対しての「神の助け」です。
親神様のこの世の救済は、神様の仕事ですから、神様自身の問題。
それはなにも、親神様が親神様に、話しをする必要も無いものです。
親神様が人間に「この話」をするのは、人間に対してのお話ですから、容器暮らしをする人間への、神からの助け、という事になります。