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🧢 高校野球全国


No.8643679
合計:
#8
○気が荒いかわからないが、鹿児島工
(鹿児島)に雄叫びをあげる選手がいた。

70年代ぐらいまでは打席に立った直後に
そういうことをする選手は多かった。

○81年春夏出場の金村義明(元西武)を率いた報徳学園(兵庫)は侍ぞろい。
はっきり物を言い、闘争心むき出しの選手が多かった。

「俺が、俺が」でチームプレイを重んじない選手が多かったので
北原監督(当時)もかなり手を焼いたそうだ。

○84年夏全国制覇の取手二(茨城)も「意地っ張りの選手が多く
それが勝ち抜けた要因」と木内幸男監督(当時)は仰っていた。

「吉田剛(元近鉄−元阪神)というやんちゃ坊主をキャプテンに
抜擢したのがチームのまとまりにつながった」とも述べている。

○80年夏全国V・横浜(神奈川)も暴走族に入って荒れていた愛甲猛(元ロッテ−元中日)をキャプテンにして
「愛甲が良い意味でのワンマンになってくれた」(当時の渡辺元智監督、この当時は元「はじめ」)。

決勝で自分が降板したにもかかわらず交代した控え投手の川戸浩(現在は神奈川・湘南学院コーチ)を一塁ベースから
マウンドに歩み寄り、一生懸命励ましていた。その姿を見て同監督は優勝を確信したという。


[ 匿名さん ]
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