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🐰 読売ジャイアンツ総合


No.9863127
#81
中田はアマチュア時代からその“ヤンチャ”ぶりが知られていた。大阪桐蔭時代は「気に食わない先輩を乾燥機に叩き込んだ」と、自分でも認めている。2007年に高校生ドラフト1位で日本ハムが4球団競合の末、当たりクジを引き当てた際は、他球団のスタッフから日本ハムの職員が「ご愁傷さま」と同情されたほどだった。

 その懸念通り、騒動を起こすこともしばしば。ルーキーイヤーの08年春季キャンプでは、連日の取材攻勢にストレスがたまっていたのか、宿舎の窓から持参したエアガンで報道陣を狙撃。幸い、誰にも当たらなかったからよいものの、当時中田の面倒を見ていた球団スタッフは「手に負えない」と嘆き節だった。

 その後も二軍では寝坊、遅刻の常習犯。痛いかゆいと訴えて練習をサボることも珍しくなかった。1年目に左手首を骨折した時も球団は当初、「またいつものウソか」と信じなかったくらいだ。

 11年には先輩の鵜久森と衝突。試合後、用具の片付けをめぐって3学年上の鵜久森と一触即発となり、「誰に口利いてんだ。殺すぞ」と激怒する先輩に、「殺してみい、コラ」と応戦した。

 試合で活躍できないとふてくされ、今年4月は三振直後にベンチでバットを破壊。すると翌日、右目に青あざをつくってグラウンドに現れた。栗山監督は「転んだ」と説明したものの、「夜の街でトラブルを起こしたんじゃなければいいが」ともっぱらだった。

「とにかく栗山監督は中田に甘い。報道陣には怒りを口にしても、実際はなだめ、すかしているだけ。本人に面と向かって厳しく言ったという話は聞いたことがない。コロナ前は、若い選手を連日のように朝まで連れ回していたが、その悪影響を認めながらも、栗山監督も球団もほとんど注意をしなかった。以前はダルビッシュや稲葉など厳しい先輩がいたのでバランスが取れていたが、いずれもチームを去った。今や野手最年長で、中田に物申せる人物は皆無。交友関係を巡ってNPBから事情を聴かれることもあったが、栗山監督も周囲も見て見ぬふりという感じ。周囲から『大将』なんて呼ばれてその気になっているけど、実際は単なるお山の大将であることに気付いていない。後輩を小突く、罵倒する、突き飛ばすなどはしょっちゅう。中田自身は冗談のつもりでも、やられた方はそうは思いませんよ」(球団OB)


[ 匿名さん ]
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