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🪓 メルティブラッド攻略・地方


No.654720
合計:
#263
男が立っている。

逞しい。全身を包み絞り込んでいる筋肉は、鉄を彫刻したように硬く、重い。
表情がない。鉄に表情がないように、人間の形をしていながらその男には表情がない。
一つの鉄塊が、そびえ立っているようでさえある。

男が立つ室内は、無骨だった。
コンクリートで固められた一面は灰という鈍色で満たされ、まさに牢と呼んで差し障り
ない重苦しさが支配している。
けれど男には、そんな無骨が何よりも相応しく見えた。

「失礼します」

指の骨が、軽く鉄を叩く音。
打たれた鉄は男ではなく、正銘の鉄で拵えられた牢の扉。
同じくして響いた高い声色は疑いようもなく女のものだが、全てが重いこの空間は
男も含めてそれを全く受け入れない。

———き、きぃ。
返事の無いことを知っている女は、至極緩やかに扉を開け始める。
と言うより、それ以上の速度では不可能だった。身の丈を超えるほどの大きさと重量を
持つ厚い鉄扉は、その細腕が震え、その顔が歪むほど懸命に押したところで、蟻に越される
程度の早さでしか動かない。

しかし、今は違った。
華奢な身体が挑まんとした刹那に、扉が自ら開いたのだ。
その一瞬のみ、まるで木造にでも変わってしまっていたかのような軽さだった。
鉄の板が退いた奥には、鉄の男が立っていた。

「……置けば良いと言っている」

豪腕が、細腕から盆を取り上げた。
質素な食器が擦れあい、部屋には不似合いな高い響きをたてる。

「申し訳ございません、出立の御支度を手伝わせて頂こうかと」
「要らぬ。元より持ち合わせる物など無い。送りも不要だと、言っておけ」
「はい……」

女の声は、落胆ではなく無念。
三年もの間、一度としてこの部屋から出る事はなく、出ようとする事もなく、日に三度現れる
瞳の色と同じ名を持ったこの女に対しても、自ら口を開けることは決して無い。
牢屋そのものと言える室内に、もう一つの牢が在るようだった。

女は、似た環境を知っている。
同じなのは、出ないことを選んだ事。
違うのは、出ないことを望んだ事。

「何処へ、行かれるのでしょうか」

返答を期待した問いではなかった。
元々ここにさえ、誘いが来なければ訪れる事など無かった筈。
明日から、また人里を離れたどこかに行くのだろう。そしてそれは、自分の知れる処ではない。
間違っても人間に知られるような場所に、この男は存在を許されないからだ。

「……だ」
「はっ?」

「————森、だ」

森。
それは何処にでも存在し、幾らでも群生し、誰であろうと受け入れる自然の巣。
当然、そんな一文字程度で所在の宛てなどつく筈もない。

「左様ですか」

女の声に無念はない。

「行ってらっしゃいませ、軋間様!」
「……む」

男は、太陽に照らされていた。
背後から射す光のほうが偽りかと思えるほど、女は眩しかった。
三年。思えば三年という時間で、この琥珀色の宝石はここまで磨かれたものなのか。
腐食と見えるほどに爛れ、錆びに犯された人塊が、今はこんなにも人間だ。

しかし、鈍色には何も写らない。照らし返すことなど出来ない。
女が去るまで、重く冷たい灰色が支配する牢の中、男もまた冷たい鉄であり続けた。
右手に残された盆から沸く白い湯気が、男の周りを包もうとして、敵わずに冷たい部屋
へと消えていく。


...


[ 匿名さん ]
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