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No.1490417
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福島第1原発:進まぬ仮設住宅入居 自宅帰れず…浪江町民

200戸以上が未入居の仮設住宅。洗濯物も少ない=福島県桑折町で2011年5月26日午前、田中裕之撮影


 福島県浪江町の避難者を対象に県北部の桑折(こおり)町に建設された仮設住宅で、入居開始から1カ月以上たっても、4分の1しか埋まらない状態が続いている。町は東京電力福島第1原発事故で全域が警戒区域か計画的避難区域に指定され、住み慣れた土地へ戻るあてはない。一方で、見知らぬ土地の仮設住宅に入っても、仕事を見つけて自立する見通しは立たず、多数の住民が避難所暮らしをせざるを得ない状況に追い込まれている。【田中裕之、井上英介】

 桑折町の仮設住宅300戸は、県内で最も早い4月21日に入居開始。JR東北線の駅から徒歩5分で病院や学校も近く、立地条件は恵まれている。14戸に町内の被災世帯が入居し、残り286戸は浪江町民が対象だ。

 プレハブ平屋で風呂トイレ付き。日本赤十字社の支援で大型の冷蔵庫や液晶テレビ、全自動洗濯機、電子レンジが備わっている。全国から寄せられた食器や衣類、布団もあり、すぐに生活が始められる。それでも29日現在、浪江町民の入居は73世帯で、200戸以上の空きは埋まりそうにない。

 浪江町は人口2万1434人で、半数の約1万1400人が県内に残る。町は仮設住宅の必要戸数を2700戸(約8000人分)と見込み、桑折町や福島市などに2300戸を確保。一部は完成して入居可能だが、県内の旅館やホテルなどの2次避難所に今なお5300人がとどまる。

 「これほど入居希望が少ないとは……」。浪江町の原芳美・住宅班長は苦渋の表情で言う。「自宅に戻れる見通しも新天地で自立する見通しも立たず、滞在期限の7月末まで避難所にいたいという声が強い。桑折町にはなじみが薄く、無理に入れとも言えない」。土地を提供した桑折町側は「町長レベルで入居を急ぐよう促したが、空きは埋まりそうにない」(地域整備課)と困惑している。

 浪江町の役場機能は二本松市に移り、最大の2次避難所は同市の岳温泉。災害救助法で国が1泊5000円の宿泊費を負担し、三食付きで水光熱費もかからない。仮設住宅は家賃はかからないが、水光熱費や食費は自己負担となる。

 「仲間たちは浪江に戻ることをあきらめつつある。町に戻れなければ、復興など絵に描いた餅だ」。福島第1原発から10キロの自宅から岳温泉のホテルに避難した志賀喜宏さん(50)は切羽詰まった表情だ。町で300年続く「大堀相馬焼」の窯元の16代目だが、今は町の臨時職員として簡単な事務を担当する。義援金と東電の賠償の一時金計140万円を取り崩しながら母(73)と妻(50)、次男(16)と暮らす。

 避難者の大半は自宅や職場を残したまま避難を強いられ、新たな土地で仕事が得られる保証もない。志賀さんは「みな自立したいと思っているが、将来が描けず、避難所から出られない。我々の状態は『難民』。酒を飲んで暴れる者もいる」。浪江での生活再建は断念し、相馬市で新たに窯を作るつもりだというが、資金調達の見通しは立っていない。

毎日新聞 2011年5月29日 20時42分(最終更新 5月29日 23時29分)


[ 匿名さん ]
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