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🤴 皇族・貴族


No.11794294
合計:
#789
>>788
主な論点

共和主義
1881年、植木枝盛が私擬憲法の中では最も民主的、急進的な内容とされる東洋大日本国国憲按を起草した。立憲君主制だが人民主権や、人民の抵抗権・革命権を明記した。
その後は自由民権運動の崩壊と天皇制国家の確立により、共和主義の伝統は切断され、美濃部達吉の国家法人説や吉野作造の民本主義など人民主権を放棄して天皇制と妥協した理論が行われ、共和主義は水面下の思想となった[7]。1918年、丘浅次郎は『新人と旧人』で天皇制は「奴隷根性」とし、1928年に弾圧を避けるためのレトリックを使用した評論集『猿の群れから共和国まで』を発行し、権力者による君主利用、利用される世襲君主、絶対服従のため君主を崇める民衆、家父長制と姑の嫁いびり、抑圧が移譲される軍隊などの構造を説明し、最終的には「最多数を占めておる最下級の者」が「自由平等の権利を主張」し、貴賤の別が全くなくなるまで至らない、と論じた[7]。
第二次世界大戦終結後の1945年、高野岩三郎は天皇制を封建制の遺物であるとし、日本共和国憲法私案要綱[8]で天皇制廃止、共和制樹立、大統領制採用、生産手段の国有化などを主張した。
2011年の共著『いま、「共和制日本」を考える』や、2017年の著作『生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ』などで、堀内哲は現在の象徴天皇制は限界であるとして天皇制廃止と共和制への移行を主張した[要出典]。


[ 匿名さん ]
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