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No.10878425
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#19
源氏の使う「白旗」と八幡の「素幡(シロハタ)」は同じ。
八幡太郎義家(源義家)の存在もある。
源義家7歳の時に山城国石清水八幡宮で元服したことに由来。
兄弟頼朝と高氏(後の足利尊氏)の兄。

「八幡(ヤハタ)」が古名であり、「八」は多さを表し、「幡」は後の「旗」である。
神仏周合以前まで「八幡」を「やはた」と読んでいた。
「ヤーハタ」=「秦氏のヤハウェ神」より。
旗とは、単なる目印ではなく、「神の依り代(ヨリシロ)」であり、そのはためく様子は神が示現する姿そのもので、鳥に化身した神が飛ぶ様子でもある。
神使(シンシ)」としての鳥、神の乗り物としての鳥が古形。
「八幡」とは、文字どおり多数の幡(旗)」を立てて、祭祀する神なのである。
「八幡」と「稲荷」は本来、秦氏の信仰であった。
後に他の部族・氏族・支族・家門・種族等も氏社として始めることになる。

宇佐神宮の主祭神は、実は「応神天皇・神功皇后・宗像三姫神」ではなく、「延喜式」905~927年撰述に依れば、「八幡大菩薩宇佐大神・大帯姫神(オオタラシヒメガミ)・姫神」の三神と記されている。
最後(2番目の)の姫神とは、宇佐地方・御許山(オモトヤマ)の神である。
そして、大帯姫神が息長帯姫(オキナガタラシヒメ)、つまり神功皇后に擬せられ、その結果として八幡大神は神功皇后の御子である応神天皇とされることになる。

宇佐神宮の名称としての歴史は、「八幡(ヤハタ)」「八幡大菩薩宇佐宮(ヤハタダイボサツウサグウ)」「八幡宇佐宮(ハチマンウサグウ)」「宇佐神社」を辿り、現在の「宇佐神宮」に至る。
「八幡」の呼称は、「ヤーハタ」から「やはた」(当時の中国人は読めずにバハン)」、「やはた(発音やわた)」「はつま」「はちまん」の歴史がある。
八幡の総本宮は、宇佐神宮。


[ 匿名さん ]
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