ネロの競技場でライオンに食われても大人しく殉教した信者レベルなら、右の頬を打たれて左の頬を差し出してもいいかもしれない。
しかし、おとなしく殺されるまで覚悟ができてないなら、最初から戦うか逃げるかしたほうがいい。
ネロの競技場では、一部のキリスト教徒が最後の最後にやっぱり神が信じきれなくてライオンに抵抗を試みて結局噛み殺されるのを見て観客が歓声を上げたという。
仏教の怒りをいさめる教えも、アルボムッレ・スマナサーラの「怒らないこと」という本に、強盗に妻子を殺され、自分の胴体にのこぎりをひかれて、いまにもまっぷたつにされて殺される段階でも怒ってはならない、と書いてあった。それくらい覚悟がないと怒らないという教えは危険なのでは。
殉教の覚悟がない普通の人は普通に怒ったり戦ったり逃げたりしたほうがいいのでは。