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神道・仏教


No.5704075
合計:
#15
>>13
開目抄は人本尊開顕の御書・観心本尊抄は法本尊開顕の御書であります。

既に高橋幸弘殿の誤謬は前のレスで証明済みですので御参照ください。

高橋曰く

この二抄の中で久遠釈尊の存在が我等己心中にあると言う前代未聞の事柄を述べられ 六老僧を始め檀家に送られています。

この高橋の言う「久遠釈尊」とは『観心本尊抄』の中で脇士となった本門の釈尊すなわち「久遠実成の釈尊」ではなくて、一閻浮提第一の本尊であることは御文に明白です。

然るに高橋曰く

久遠実成の釈尊を 御本仏御本尊と定められ日蓮門下に流布されているのです。

と誤った本尊観を述べています。

高橋の言う「我等己心中にあると言う」「久遠釈尊」とは脇士となった「久遠実成の釈尊」ではなく、久遠元初の釈尊すなわち南無妙法蓮華経の御本尊を立てられた日蓮大聖人であらせられます。

『観心本尊抄』は『観心本尊抄送状』に「富木殿御返事」と認められ、六老僧に送られた御抄ではありません。
「大田殿・教信御房に奉る」と述べられているように在家の入道方に送られているのです。
一方の『開目抄』は特定の宛名はないので日蓮門下一同に与えられた御書と考えられています。

実際に高橋の記述には勝手な想像や思い込みが余りにも多く見受けられますが、当方は主題から逸脱した誤りについては大目に見ています。

高橋は『観心本尊抄』で脇士となった「本門の釈尊」を如何に解釈するのでしょうか。

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