爆サイ.com 南関東版

🛩️ 自衛隊・軍事全国


No.2565714
合計:
#37
8万人に餓えが迫った12月8日、イギリス軍の食糧が届きました。
しかし、この食料は熱帯で半年も貯蔵され賞味期限どころかイギリス軍が廃棄するような食料を持って来て、しかもわざと日本の記念日である12月8日まで待たせておいて、この日に日本兵に“くれて
やった”のです。過酷な状況の中でも日本兵は抵抗もなく、脱走もなく、餓死者も出さなかったのは
奇跡であったといえます。命令系統が失われていたので混乱があってもおかしくありませんが、

日本兵の秩序は乱れませんでした。死の島と言った無人のジャングルを切り開き、飢餓に迫られな
がらも、しのいだ日本兵。道路、農地、井戸、貯水池、宿舎、病院まで建設しました。イギリス軍の
陰険な策謀は見事に裏切られたのです。世界のどの軍隊であろうとも、敗戦後の極限状態に
追い詰められながら落胆し、意気消沈し、絶望に自暴自棄になる状況でも、
統率を取ることができた天皇の軍隊、皇軍としての誇りであった。白人の陰湿な日本兵への扱いに
対して、日本にいた捕虜の扱いはどうであったでしょうか。戦局悪化の一途の中、我が国の民需が

枯渇し、欲しがりません、勝つまではのもと、お国のためにあらゆることを我慢し、わずかな配給に
列をつくって日本国民全体が飢えていた時、敵捕虜に対しての待遇は日本の将兵と同じであったの
です。敵の将兵に食料を供給し続けたのです。戦時国際法は固く守られていたのです。
国民が極度の窮乏の中でもこれこそ白人社会ではあり得ない日本精神であり、武士道でもある
のです。このことはなぜか戦後隠されたままです。


[ 匿名さん ]
TOP