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🕌 宗教総合


No.5579517
合計:
#254
当時の公事の常識として境内地や寺社領は領主や座主の代替わりや、幕府の意向により、その都度に安堵状が発行される決まりでした。 寺社領地の場合は所轄の地頭や守護が寄進状を発行していたのです。
地頭南条氏の寄進状の宛名は宰相阿日郷となっており、当時の大坊並びに小泉蓮蔵坊の最高責任者は日郷であることは歴史資料に照らして明白です。
これは改竄でも捏造でもありません。
要するに後世に大石寺と名乗った寺の4代は宰相阿日郷だったと言う事です。
しかし。南条氏の没落や興津氏の台頭、加えて日郷日道両師の遷化により、ドサクサに紛れて日郷に本尊泥棒、
本寺出奔の汚名を着せて、死人に口無し、とばかりに師匠日道を4代と担ぎ上げ、自らが5代になりすました日行は日郷のみならず師匠日道まで貶めた師敵対の大謗者であることは明らかです。
思えば最初のボタンの掛け違いが、後世のカルト日蓮正宗を生む原因だったのです。
因縁に猛毒を交えていたわけです。


[ 匿名さん ]
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