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🕌 宗教総合


No.5677701
合計:
#93
南無妙法蓮華経とは、経文の名ではないのです。
法華経寿量品の文底に秘された、究極の法そのものなのです。

<当体義抄>に曰く

至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す

それに、日蓮大聖人は末法の御本仏であって、応仏昇進の仏ではありません。
釈尊が応仏昇進した従因至果の脱仏ならば、宗祖は、 「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱う」 (本因妙口決 全875) 久遠の仏である。

だから、釈迦は「自我得佛來」(じがとくぶつらい):私(お釈迦様)が仏になってからというものは...
という事になるのです。

つまり、釈迦といえども、仏のもとで長い間修行して悟りを開き成仏した仏なのです。

ところが、大聖人は一言も過去世に仏のもとで修業したなどと言っておりません、
すなわち、自得の仏なのです。ゆえに「久遠元初の自受用 報身如来」というのです。

法華経を読んでみると、地涌の菩薩の姿は「威厳を湛えた古仏」であり、釈尊すら25歳の若造にすら見えたとあります。

地涌の菩薩とは、菩薩とは名のつくものの、実は仏なんです。
大聖人は上首上行菩薩という仮の姿で末法に再誕されますが、その本地は末法の御本仏です。

このことを一人悟られていたのが、二祖 日興上人であられる。

すなわち、釈迦の師匠は「南無妙法蓮華経 仏」 つまり日蓮大聖人のことです。
能生の根源の法と一体の仏なのです。

なので、天台も伝教も末法に御本仏が出現されることを分かっていたので、そのお方にお会いできないことを大変悔やんでおられたのです。

日蓮大聖人を菩薩としか理解していなかったのが当時の五老僧であり、その流れをくむ現在の身延派の日蓮宗なのです。


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