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🐮 松阪市雑談


No.5886887
#447
>>442
江戸時代には、農耕用の役牛として但馬国(兵庫県但馬地方)の雌牛(但馬牛)を飼育していた。明治になり、西洋文化の影響で牛肉食が始まると、遅くとも1905年(明治38年)頃までには、農耕用を退役した牛が肉牛として売られるようになった。その後役牛から肉牛へのシフトが進み、1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになった。


[ 匿名さん ]
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