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🔉 街で話題2


No.1501790
合計:
#35
>>34参考文献『一外交官の見た明治維新』130〜131頁。「生田川の河原」とは、現在のフラワーロードである。


神戸事件が発生した当日、兵庫でアーネスト・サトウと面談した長州の片野十郎が、サトウの言葉を書き残している。
「何分備前暴動、甚以不相済、元来行軍へ失礼致候にもせよ、仏蘭西マトロスの事に付、其者を如何様に致候とも、異論無之候得共、其跡にて各国留館へ銃撃致候段、何共不相心得、今般日本政府改革の趣に付ては、決て破約の国論に相成候故と推察致候との事」。
すなわち、サトウは事件の前半・後半を区別し、「供割」については、フランスの水兵を「如何様に致候とも、異論無之」と譲歩。一方、「其跡にて各国留館へ銃撃致候段、何共不相心得」と、「留館への銃撃」を非難している。文字通り解釈すれば、サトウは、各国が臨時に領事館として使っていた幕府の旧運上所の建物に対する銃撃と表現していることになる。外国人たちを直接狙った加害射撃としての水平射撃ではなく、遠方の建物に照準を合わせた威嚇射撃であったとの説を補強する証言となろう。参考文献『近世日本国民史 67』250頁。


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