ヤフー知恵袋 ベストアンサーより抜粋
自然の事象をただ事実と捉えて理解したよというのではなく、そのことから、「人間の生活や、人が生きることの素晴らしさや、生きる上での大切な考え方」などに思いが及んだ時に、しかも、それが自分の勝手な思いなどではなく多くの人の理解や共感が得られるようなものであるとき、初めて「世の理」と言うものに昇格するのだと思います。
例えば、「桜が散る。あんなにきれいだった桜が。・・・覇者であった信長も秀吉も、またすべての人間は花が散るように死ぬのだ。・・・自分もやがては死ぬのだが、その生き方はこれまでとは、○○のように変えていかなければならない。」などと深く、強く思索をめぐらすとき、初めてその自然現象を述べた言葉が、たんに現象を述べたものではなく、世の理となるのだと思うのです。
きれいな桜花も、いずれ散るのは、世の理。
人間生活への思い・考えが裏についているのが、「世の理(道理)」なのだと思います。