>>34
抑止力っていうのは、外国による核戦力の行使を抑止させる事ですよね。
つまり、国家間の対立がエスカレートしても、さらに通常戦力による戦争になっても、敵に「核戦力の行使は我々に有利な政治ではない」と思わせる事と言えますよね。
それには通常弾の「マス(塊)」を、弾道弾にぶつけるような迎撃システムでは、半永久的に国家・国民の安全を保証出来るシステムにはなり得ないというのが僕の主張でした。
危機管理とは常に最悪の事態を想像する事だと思います。
中国が日米の弾道弾迎撃実験に関心を示すのは、その意味で当然です。
彼らは、SM3やPAC3が低調なパフォーマンスしか示さないであろう情報は収集しているでしょう。
しかし、それで「日米の迎撃システムは大した事は無い。我が中国の核戦略は当分安泰だ」…と思わないのが、マジメに国防を考える国や人物の恐ろしさなのです。
彼らは最悪の事態を考えています。
「まだまだMDが有効なシステムである可能性は否定しきれない。その時は我が国の核戦略は根本的な見直しが必要になる。情報を収集して検証しなければ」と考えるのです。
彼らは国防を真剣に考えるがゆえに、彼らが「信じたい事(MDは大した事はない)を疑う」事が出来るのです。
我々にこれを当てはめてみて下さい。
「SM3が3年後にICBMを迎撃可能になる」
「PAC3で弾道弾をターミナルフェーズで有効に阻止出来た」
「MADが無くてもMDで抑止力は担保出来る」
…全て我々が信じたい事ばかりです。
人間は「自分が信じたい事を信じてしまう」ものです。
しかし「信じたい事」を疑う事が出来ないと、真の危機管理は生まれやしないと思うのです。