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その“対米英開戦派”については以前から書いてきたように海軍と外務省の一部と見ることが可能だ。
かように海軍が我が国を対米英開戦へとミスリードさせていく遠因は、日露戦争終結直後まで遡る。
その話をする前に我が国の地理の特殊事情を考えねばならない。
我が国は非常に珍しい国で、有史以来、外敵によって国内まで攻めこまれたことがほとんどない。
例外は刀伊の入寇と二度の元寇、そして第二次大戦末期の沖縄戦くらいだ。
そしてそのいずれのケースも陸戦が国の中枢に及んだことは一度もない。
それはひとえに大陸(朝鮮半島)とを隔てる玄海灘のお陰…要は島国であったためだ。
そして近代以降も、ほとんどの戦争は海を越えた外征戦争として戦うことになるわけだ。
このような地理的な条件はイギリスに類似しており、こちらも1066年のノルマン人による征服(ノルマン王朝)以来、外敵の地上軍に攻めこまれたことがない。
このイギリスがやがて世界を制するに至る経緯と、それを実現させた理由については、いずれ後に“地政学と米国の世界戦略”について述べる際に触れさせてもらうつもりだ。
話を戻す。
かような島国としての我が国であったが、幕末以降からその陸軍の軍制や戦術について欧州諸国(最初期にはフランス)プロイセン/ドイツから学ぶことになる。
我が国がフランスからドイツへと宗旨がえしたのは、1871年の普仏戦争でフランスがプロイセン+ドイツ語圏連合に大敗を喫したことがきっかけに他ならない。
このドイツへの傾倒は当時の我が国に限った話ではない。
当のフランスも含めた欧州大陸諸国がプロイセン/ドイツに学ぼうとしたのだ。
では何がプロイセンをかような強国へとならしめたのか?
それは
①参謀本部の充実と、それへの采配権の委譲
②短期現役制による徴兵制の施行
③有事の急速動員を保障する官僚組織の充実
④動員・集中および展開における効率を重視した鉄道網の整備
…となるだろう。
これらを世界中の国々から学ぼうとし、近代化途上の我が国もその中にあったのだ。
そしてこれらの術を伝授すべく、我が国に派遣されたのがメッケルということになるのだ。