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🕌 宗教総合


No.6435716
合計:
#805
「人類日本到達の最有力移動シナリオ(定説はない)」

最初に日本到達を果たした父系ハプログループはY-C3-M217ともいわれる。
バイカル湖、沿海州、北海道および本州(静岡休場遺跡)の細石器文化の担い手と言われている。
現代のアイヌなど日本北部にその遺伝子が2%弱残されている。
日本西部に同様に僅かに残されているC3系はツングース系のY-C3c-M86。
(台湾ブンニ族からY-D系とY-C祖型が出たので、日本最初期の南方石器文明はY-C1-M8と南方Y-D2系の可能性が出て来た、マイケル・ハマーの縄文人BP30000日本到達説が有力か?)

Y-Bから分岐して出アフリカしたY-Cは東進してインドで大分岐、C1はそのまま東進して日本にだけ僅かに残された(貝文土器人とも)。
C2はポリネシア・メラネシアに進出した。
C3はバイカル湖まで北上、イヌイット・粛慎・朝鮮・満州系とC3bのエスキモー・北米インディアンとC3cのツングースに別れた。
C4は豪州に上陸したアボリジニ。
C5はインド・パキスタンに僅かに残る。
C6はニューギニアでわずかに確認されたが研究中、齟齬かC2の変異体の可能性もある。


Y-C系は日本に定着せず僅かしか残されていないが、日本でもっとも繁栄して今でも最優勢な遺伝子が縄文人と言われるY-D2系である。
D2系は約2万年前に日本に到達したとも言われている。
日本北部に分布するY-D2-P37.1は唯一地続きだった樺太ルートで、
南西諸島および日本西部に分布するY-D2a-M116.1は海路南から上陸したと考えられている。

Y-Bから分岐したYAP+のY-DEは中東でY-DとY-Eとに分かれた。
Eは中東に留まりそこを中心に地中海流域に広く進出した。
(アフリカ全体に広がった一派もいた)
Dは東進、アンダマンで分岐Y-D*を残している。
Y-D1は東南アジアから華南・華北に進出、その近辺でD2・D3と分岐したもよう。
D2は日本へ、D3はチベットに進出した。
D1は東南アジア・華南・チベット・朝鮮に僅かながらに残されていて、その分布の中心地かつ空白地の華北で他民族に掃討された、と見るのが理に適っている。
その他民族とは漢族系のY-O3系かもしれない。
個人的には、「再南下して長江文明の担い手と思われるY-O2a・Y-O2bを掃討してその文明を滅亡させグループを四散させたのもO3系」説を支持している。

そして上記のY-O2b系が海路南西諸島・九州に上陸、日本に長江水稲を伝えた弥生人Y-O2b1a-47z(朝鮮倭族Y-O2b*とは別系統)となった。
その弥生人と元々の縄文人そして歴史上の渡来人(華北Y-O3系、その他)が緩やかに混血していったのが現在の日本人である。


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