あの80年夏、早稲田実業・荒木大輔が登板せず、本来のエースの
芳賀誠が登板していたらどこまで勝ち上がっていただろうか?
芳賀誠の大会直前のアクシデントにより、急遽荒木が
登板することになったのでしょう?
84年夏決勝・取手二(茨城)8−4PL学園(大阪)の試合で、
清原の打球がポールを巻いたはずなのに、ファウルとの判定。
PLベンチが意気消沈したそうだ。
また、中島彰一(東洋大進学、新日鐵住友金属鹿島監督)が
高めのボール球を大根切りで本塁打。
桑田の指の状態が悪く、PLも危ない場外だった。
しかし、あんなボール球を打つとは・・
あんなコースを打ったら怒られますよ(笑)