さて、いったい、どんな生き方が「丁寧な生き方」なんだろう?日常、いつもわたしは「わたし」として生きているかというと、そうではないです。わたしに限らないと思いますが、とにかくいろんな状況を生きていて、ある場面、またはある特定の人の前では、わたしはそこで求められる「なにものか」になっていると感じています。たとえば、息子・娘の前では「父親」であり、妻の前では「夫」であるというふうに、常にわたしは相手との関係のあり様に応じて、「なにものか」になっている。この場合、表層演技(つまり、装う程度)か、深層演技(つまり、なりきってしまう)かの違いは、個人差やケースバイケースということがあるかもしれないですけどね。
いずれにしても、おそらくわたしたちの生活は、「演じる」ことをせずして成り立つものではないのでしょう。