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📿 創価学会


No.10840274
#216
【60年安保闘争】


「1957年、岸信介首相>>191 >>145が安保改定に乗り出し、米側>>188と話し合いが持たれ新安保も現実味が帯びた。
だが、やがて反対デモが活発化し60年5月19日には新安保条約が強行採決される。
請願デモは岸内閣退陣を要求する抗議デモへと変わり、
6月15日には国会での衝突の中、東大生の樺美智子(22歳)が死亡した。

岸首相は警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、
児玉誉士夫を頼り、自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、
暴力団関係者の会合に派遣した。
松葉会の藤田卯一郎会長、錦政会の稲川角二会長、住吉会の磧上義光会長、
新宿マーケットのリーダーで関東尾津組の尾津喜之助組長ら全員が、
デモ隊を抑える為に手を貸す事に合意した。

さらに、右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、
岸首相自身が1958年に組織し、木村篤太郎が率いる新日本協議会。
以上三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。

当時のファーイースタンエコノミックレビューには、
博徒・暴力団・恐喝屋・テキヤ・暗黒街のリーダー達を説得し、
※ アイゼンハワー米大統領>>142 の安全を守るため効果的な反対勢力を組織した。
最終計画によると18000人の博徒、10000人のテキヤ、10000人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった」

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※ アイゼンハワー米大統領=スウェーデン系ハザール人


[ 匿名さん ]
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