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🕌 宗教総合


No.8082836
#969
明治25年11月19日
「刻限無してしまい、刻限見逃し聞き逃し、子供のする事が、親は今まで見ていた聞いていた。
なれど、人間心の理が栄える。それでは見て居られん」

明治26年5月12日
「指図の理によって治まらんといえば、神の指図をせせら笑い、空に聞いているからの事。
懺悔どころやあろうまい。一時の處、許すに許されん」

明治28年5月22日
「刻限の指図、ぐるぐる巻いて置いてしまい、紙の色の変わるほどは放っておいてはどうもならん」

明治29年3月24日
「もう指図止めようかと思うて居る。用いん指図なら、したとて何の役にも立とまい。
指図は人間心ですると思う心が違う。心が合わんから疑わんならん」

明治27年4月3日
「話にも伝えてある。筆先にも伝えてある。話一字/\の事情調べたら分かる。筆の理に知らせたる處
も皆分かる。何遍諭してもくるくると巻いてしもうて置く。どうもならん」

明治30年2月1日
「皆千切れ/\である。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。
春風のようなそよ/\風の間は言う事はない。神も勇んで守護する。なれど
今の事情はどうであるか。黒ほこり泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり
泥ぼこりの中で、どうして守護できるか。又守護した処が、世界へどう見えるか」

明治30年7月14日
「さあさあ言葉を台にして身の内入り込む。言葉を出す。今日や昨日の理で
言葉を出せるか出せんか聞き分け。どれだけ賢い者雇い入れたのやない。
元を思え」


明治31年5月17日
「こら理や、そら理やと人間勝手の理、神の道に無き理を引き出すから、
治まらん。決まらん。そんな事では教えの理は説けやせんで」

明治31年9月30日
「何ぼ諭した指図、皆んなあちらへ映るこちらへ映る。勝手の悪い指図は
埋もって、こんな事では一分の日 難しいなる。迫ってくる」

明治31年10月23日
「人はどうでもいうようでは、むさ苦しい/\。塵だらけ 埃だらけではどうも
出けやせん」

明治34年5月25日
「神が入り込んで教祖教えたもの。その教祖の言葉は天の言葉や。どうやろ
こうやろうと、そこへ教祖入り込み、天より直ぐと映したのや」


[ 匿名さん ]
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