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🚓 警察


No.10627905
合計:
#755
>>752
いずれの動きも「正史」としては、大した背景もなく偶発的に新たな政治哲学が出てきて、革命や改革が行われたという平板な話になっている(学校の世界史は本当につまらない)。正史は建前だけで書かれ、国家体制や国際政治体制に外から影響を与える勢力など存在しないことになっている。だが「ネットワーク」の関与を仮定すると、平板さの陰に隠れたダイナミズムが洞察できる。

 たとえばフランス革命は、資本家が都市住民や農民を扇動して決起させ、王侯貴族と教会というそれまで国家運営の特権を持っていた勢力を潰し、国民国家という、愛国心に裏づけられた納税制度で財政が強化される国家体制を確立したという意味がありそうだ。仏以外の国々の王侯貴族は国民国家になることに抵抗したものの資本の論理に従わざるを得ず、折衷策として立憲君主制が作られつつ、国民国家制度は世界中に拡大された。

 前編で、イタリアとドイツの統一建国は、フランス包囲網の一環としてイギリスが1815年のウィーン会議で「予約」したと書いたが、これも資本の論理で見ると、イタリアとドイツに国民国家を作って投資対象として強化する話になる。ドイツ統一の中核となったプロシアは18世紀後半からユダヤ人の移民を積極的に受け入れ、経済を発展させて国家財政を黒字化し、成功した(当時の欧州の大半の国は財政が赤字だった)。1880年代、ウイーンの弁護士と物理学者の6割はユダヤ人だった。ナチス以前のドイツは、ユダヤ人に頼る国だった(製造業はドイツ人だが、金融や知識産業はユダヤ人という状況を破壊するため、ナチスはユダヤ人を収容所に入れた)。

 19世紀の欧州では、共産主義からファシズムまでの多様な政治の哲学的思考と活動実践などが開花したが、これも国家経済成長の高速化を課題とする資本の論理に合致し、資本家好みの展開だった。(資本家との分業体制なのか、革命家、思想家にはユダヤ人が多い)


[ 匿名さん ]
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