爆サイ.com 北陸版

🚓 警察


No.9983231
#927
>>926の続き
その背景には、事件の4年前、1919年に三・一運動など朝鮮の独立を求める運動が盛り上がったことがあり、朝鮮人は大日本帝国の言うことを聞かない「不逞の輩」として日本全土で官民による差別や弾圧が強まっていた[15]。また、戦後、法務省が刊行した『関東大震災と治安回顧』[16]では「数百名の村民は忽ち武器を手にして」「殺到し、売薬行商団を包囲し、『朝鮮人を打ち殺せ』と喧囂(けんごう)し、行商団員が百方言葉を尽くして『日本人である』と弁解したにも拘らず」「平静を失った群衆は」「荒縄で縛り上げ」「鳶口(とびくち)、棍棒を振って殴打暴行し、遂には『利根川に投げ込んで仕舞え』と怒号し」などと描写されている[9]。

さらに関東大震災の当日・翌日には、関東各地の警察が「朝鮮人に気をつけよ」「夜襲がある」などと官の側から流言蜚語をまき散らしたとされる[15]結果、福田村周辺の自警団も「異常な事態に興奮状態にあった[7]」という。

当時の防犯ポスターには「あやしい行商人を見たら警察へ連絡せよ・千葉県警」と書かれているものもあり、貧しそうな行商人に対する蔑視や差別の構造もあったと考えられる。虐殺に走った自警団員の中に「どうせ、どこから来たのかも知れぬ行商人ではないか」という意識が働いた者もいたであろう[9]。
事件後

戦後もずっと事件は闇に葬られていたが、1979年に事件の遺族らから「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」などに連絡があり、事件の現地調査が始められた。1983年には、平形千恵子(千葉県歴史教育者協議会)から香川県歴史教育者協議会の石井雍大に情報が伝えられ、共同調査や香川県での聞き取り調査[17]が進んでいき、1980年代後半からやっと新聞などでも取り上げられるようになった[18]。


[ 匿名さん ]
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