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👙 京都風俗・個人


No.5058011
合計:
#71

過去7度の引退試合は以下の通り。

 【1度目】全日本プロレス時代。1983年4月20日のへクター・ゲレロ戦で左膝蓋骨粉砕骨折の重傷を負い、一時、復帰するも回復せず引退を決断。85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。

 【2度目】FMW時代。94年5月5日、川崎球場で天龍源一郎と対戦して敗れ、1年後の引退を宣言。95年5月5日に弟子の故ハヤブサと引退試合を行った。

 【3度目】参院議員時代。2003年1月7日。同年に開催予定のアフガニスタン興行を最後に引退することを発表。

 【4度目】参院議員時代。05年3月26日。01年に入学した明大の卒業式に出席後、大学とプロレスからの「卒業」と題し後楽園ホールで矢口壹琅とのタッグで天龍源一郎、越中詩郎組と対戦した。

 【5度目】長崎知事選への出馬を理由に09年12月27日の自主興行で引退を発表した。知事選は落選した。

 【6度目】10年5月5日。新木場1stRING大会で引退試合を行った。ターザン後藤と組み、元祖ザ・グレートパンク、初代ザ・シューター組に勝利した。

 【7度目】17年10月31日、後楽園ホール。引退セレモニーでは還暦記念の赤い革ジャンに身を包み母・松原巾江さんが花束を贈呈し涙を流す姿があった。試合は、ストリートファイト有刺鉄線ボードトルネードバンクハウスデスマッチで鷹木 信悟、KAIと組み、藤田和之、ケンドー・カシン、NOSAWA論外組と対戦し、サンダーファイヤーパワーボム7発でNOSAWAを倒し有終の美を飾った。


[ 匿名さん ]

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