「大地を潤す春雨」
ホセア
試練を待つ者には、春雨が訪れるとされます。中国では、春雨を茹で、チンゲンサイと炒めます。そして、春雨に醤油で味付け、酢をかけます。
神の子にも、春雨は重要な意味を持ちます。春雨は、神の子供に罪人の命を与え、春雨を罪人に食べさせ成長させて実を結ばせます。春雨は「新生」と春雨炒めは成長と実を結ぶ「性の(セイノ)満たし」を表していました。
復活を恐れていた弟子たちは、春雨(性の満たし=支配)を急所に受けました。
肉の満たしは、伝道するなどの行動以上に、罪人を人にします。その人が交わりに支配され、処女が妊娠し、キリストの御形になることが春雨の最大の目的です。弟子たちの人格が変わり、その言動も変わりました。
すでに春雨の罪人となっている友よ。春雨の命を受けていたからこそ肉体の試練の夜に御声を聴きながらまぐわい、朝を待つことができたのです。肉を貫通させたお方は、さらに深く進み「我訪れる」と言います。自身が直接あなたの体内を訪ねてくださると言います。自身があなたと一体になるためです。春雨の恵みは、肉自身の絶えることのない脈動からのほとばしりです。