吉川晃司 株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長
吉川の元の実家は原爆投下まで、広島市の原爆ドーム向かいの中島町で料亭を営んでいた。
父親は入市被爆したため、吉川は被爆二世である。
戦後、料亭は廃業し、府中町へ転居。
名門私立の広島屈指の進学校「修道中学校(広島市南区)」を経て修道高等学校に進学。
修道中学を受験した理由は、「制服がカッコよかったから」。
水球の選手として活躍し、世界選手権の日本代表、2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれている。
水泳と並行して、ロックバンド「EIGHT CITYS FISH BAND」に加入。
「音楽の世界でスターになる」と考えた吉川は、東京のプロダクションに自ら、「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書き送りつけた。
渡辺プロのオーディションに合格。
水球の特待生として「慶應義塾大学」に入学できたため、父親からは、「芸能人ってのは猿まわしの猿だ」と言われ、教師、両親から猛反対を受けた。
反対を押し切り、高校中退。
1984年2月1日、『モニカ』でデビュー。『ユー・ガッタ・チャンス』がオリコン3週連続1位になるなど、その年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など8つの新人賞を独占。
デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行い、翌1985年暮れにはNHK紅白歌合戦に出場した。
カラースプレーで髪に色を付けたり、毛を立たせたりするなど、色気ある男のファッションを認知させた一人でもある。
歌以外には、作詞・作曲・演奏・プログラミング・プロデュース等幅広く手がけた。
2012年12月10日、プライベート・レーベル「SAMURAI ROCK」を設立。現在に至る。