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No.1441778
合計:
#4
日本の原子力政策の始まり

戦時中からサイクロトロンにより、世界最先端の原子力研究を行う
しかし、1945年(昭和20)9月2日の第二次世界大戦敗戦後に連合国から原子力関連の研究が以降7年に亘って全面的に禁止された
その後、1952年(昭和27)4月28日に日本との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効、翌年に米国共和党アイゼンハワー大統領が国連総会において「平和のための原子力(原子力の平和利用)」の演説を行ったことも契機となり、再開される

日本の原子力政策は、1954年(昭和29年)3月に改進党在籍の国会議員により、原子力研究開発予算が国会に提出されたことが起点である
だが、その頃の3月1日に南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍による水素爆弾実験により、発生した第五福竜丸被曝事故によって、日本では「反米」「反原子力」の気運が高まる

その最中に当時、衆院選に当選した正力松太郎(読売新聞社主・CIAスパイコードネームポダム)がCIAと連携したと思われる原子力に対して好意的な親米世論を形成するための工作を開始する


[ 匿名さん ]
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