昭和40年代後半盈進さんが学校での授業、クラブを終え、帰宅途中前を歩く女性のスカートの後ろに手鏡をかざす光景をよく見かけた。
自信満々チックで固めたリーゼントを授業中はお気に入りの手鏡で眺め、放課後は見ず知らずの女性の香しきパンティーを堂々と楽しんでいたんじゃ。
電波さんは工業高校という環境からか当時の生徒は「どうせ俺らはブルーカラー」と、常に嘆き言葉を発していた。しかし、意外にもいい波に乗り企業の中でそこそこの地位に就いた子たちは多かったんじゃ。
野球の浅野選手を見てごらん。私が言わんとする事が理解でいるじゃろう。
・・・・・・・・続く