アントニオ猪木さんは、神奈川県横浜市鶴見区生麦町の出身。
実家は石炭問屋を営んでおり、日本鋼管の溶鉱炉に使用する石炭を独占していました。
しかし戦後、世界のエネルギー資源の中心が石炭から石油に変わったことから、倒産してしまいます。
12歳で横浜市立寺尾中学校に入学しましたが、生活は厳しいものがありました。
13歳の時、貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、一家はブラジルへ渡ります。
まだ少年の猪木さんでしたが、サンパウロ近郊の農場で、早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられました。
一方で、陸上競技の選手として現地の大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、その身体能力を発揮する。
そんな姿が、ブラジル遠征中の力道山の目に留まり、プロレスラーとしてスカウトされたのでした。