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📿 創価学会


No.1441729
#169
【石井四郎】

石井 四郎(1892年(明治25年)6月25日 - 1959年(昭和34年)10月9日)は、日本の陸軍軍人(軍医将校)、医師。
最終階級は陸軍軍医中将。功四級、医学博士。岳父は荒木寅三郎(細菌学者、京都帝国大学総長)
関東軍防疫給水部長を務めたことで知られる。


経歴

千葉県山武郡芝山町(加茂)の地主 兼 酒造家である石井桂の四男として生まれる。
千葉中学(現・千葉県立千葉中学校・高等学校)、第四高等学校(金沢市)を経て、
1920年(大正9年)3月、京都帝国大学医学部を卒業。指導教官は清野謙次。

1921年(大正10年)4月、陸軍二等軍医(中尉相当官)に任官し、近衛歩兵第三連隊附。
同年8月、東京第1衛戍病院(戦後は厚生省に引き継がれ、現・国立国際医療研究センター)

1924年(大正13年)、陸軍一等軍医(大尉相当官)に進級。
1926年(大正15年)4月、京都衛戍病院(戦後は厚生省に引き継がれ、現・国立病院機構京都医療センター)
1938年(昭和13年)3月、陸軍軍医大佐に進級。
1939年(昭和14年)4月、兼 参謀本部附。同月から1941年(昭和16年)1月まで、兼 中支那派遣軍防疫給水部長。

1939年(昭和14年)5月11日、ノモンハン事件が勃発すると、関東軍防疫部長として出動。7月8日から10日間、海拉爾・将軍廟方面にて防疫給水部隊を指導。
1940年(昭和15年)8月、関東軍防疫給水部長 兼 陸軍軍医学校教官。
(関東軍防疫給水部は、帝国陸軍の慣習により、部隊長の名を冠した「石井部隊」の通称名で呼ばれた)

1941年(昭和16年)3月、陸軍軍医少将に進級。同年4月、陸軍の全部隊に通称号が導入されたのに伴い、
関東軍防疫給水部本部に「満洲第731部隊」の通称号が割り当てられる。同年11月、陸軍技術有功章を受章。

1945年(昭和20年)3月、陸軍軍医中将に進級。関東軍防疫給水部長に再任。
同年5月、満洲第731部隊は「満洲第25202部隊」と改称された。同年8月、ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し内地へ帰還。
同年12月、予備役編入。


戦後

極東国際軍事裁判(東京裁判)において戦犯容疑を問われたが、詳細な研究資料を提供したため、
GHQのダグラス・マッカーサー最高司令官とチャールズ・ウィロビー少将の協議によって訴追を免れた。


[ 匿名さん ]
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