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🐙 今治市雑談


No.8336139
合計:
#54
プロ入り前 編集
栃木県立栃木工業高等学校からJR東日本入り。都市対抗野球大会ではJR東日本硬式野球部の4強入りに貢献、インターコンチネンタル杯では日本代表入り。

2006年の大学生・社会人ドラフト会議において読売ジャイアンツから6巡目指名を受け入団。背番号は「69」[1]。

巨人時代 編集
2007年の春季キャンプで、金刃憲人・上野貴久・円谷英俊と共に、球団としては4年ぶりの新人一軍スタート。開幕後は二軍で経験を積む。

2008年から、背番号を2006年まで大西崇之が背負った「00」に変更。5月23日に一軍昇格し、5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦でスタメン出場を果たすと、帆足和幸からプロ初打席初安打を放った。6月1日の福岡ソフトバンクホークス戦では延長12回表に一時勝ち越しとなる適時三塁打を放ち、プロ初打点を記録した。この年は62試合に出場し、80打席ながら3割を記録した。

2009年は自身初の開幕一軍入り。4月18日の中日ドラゴンズ戦で決勝点となるプロ初ホームランをチェン・ウェインから放ったものの、打率は1割台に低迷。主に代走や守備固めとしてチームのリーグ優勝に貢献した。

2010年も開幕一軍入りを果たしたが、代走や守備固めのみの出場でシーズン無安打に終わり、一軍と二軍とを行き来した。オフの秋季キャンプでは原辰徳監督の指示により、緊急時の第三捕手になるべく捕手練習に取り組んだ[2]。

2011年は古城茂幸から内野の守備要員のポジションを奪い、3年連続の開幕一軍を果たす。前半戦はこれまで同様代走や守備固めでの出場が主だったが、後半戦に入ると課題の打撃に改善が見られ、小笠原道大の負傷等も重なって主に相手投手が左投手の時にスタメン出場した。9月14日の横浜ベイスターズ戦ではブレント・リーチから2点適時打を放って2年ぶりに打点を挙げた。その後は7試合連続安打を記録。シーズン最後の5試合は相手投手の左右にかかわらず2番・三塁でスタメン出場した。CSでは急性虫垂炎で一軍を外れた藤村大介に代わりセカンドのスタメンを務めた。


[ 匿名さん ]
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