>>43の続き
・創価学会の本部と高崎達之助の自宅がともに新宿区信濃町にあり、近くだった
ことから池田と高崎はしばしば会う様になる。
そして訪中した高崎が、周恩来に「創価学会と言う元気な団体がある」との話
をした。
・周恩来は何のことかといぶかったが、寥を通して高崎の家に間借りしている
孫平化に、調べさせた。孫はその後1963年頃「会員数1,000万人、
日本の人口の1割が学会員」と報告する。周はその後も調査を続行させる。
・文化大革命('66~'76年)により、事業家や文化・知識人や共産党員までもが、 大衆を巻き込んだ暴力的な大粛清をうけ、多くの資本財や文化財が甚大な被害
を受け、これで中国の経済発展は20年は遅れたと言われている。
期間中の行方不明者を含めた虐殺者数は1千万人とも3千万人とも言われて
いる。
毛沢東の大躍進政策は失敗に終わり、2,000万以上の餓死者を出し、毛沢東
は失脚していた。そのため、再度権力の奪還を目指して惹き起こした権力闘争
が、この文化大革命なのである。
・この間中国は世界との断絶状態となり、中国は半ば鎖国状態となっていた。
・周恩来は寥らに指示して、学会を最大限利用して、日中国交正常化を進める
ため、「対日工作4人組」を組織した。日中国交正常化とは、裏を返せば、
日本と台湾を断行させることに他ならない。周の真の狙いはここにあったのだ。
そのためこれら4人組は、寥承志を含め対日特務工作などを行ったことのある
経験者を当てている。