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📿 創価学会


No.8760695
合計:
#44
>>43の続き
・創価学会の本部と高崎達之助の自宅がともに新宿区信濃町にあり、近くだった
 ことから池田と高崎はしばしば会う様になる。
 そして訪中した高崎が、周恩来に「創価学会と言う元気な団体がある」との話
 をした。

・周恩来は何のことかといぶかったが、寥を通して高崎の家に間借りしている
 孫平化に、調べさせた。孫はその後1963年頃「会員数1,000万人、
 日本の人口の1割が学会員」と報告する。周はその後も調査を続行させる。

・文化大革命('66~'76年)により、事業家や文化・知識人や共産党員までもが、 大衆を巻き込んだ暴力的な大粛清をうけ、多くの資本財や文化財が甚大な被害
 を受け、これで中国の経済発展は20年は遅れたと言われている。
 期間中の行方不明者を含めた虐殺者数は1千万人とも3千万人とも言われて
 いる。
 毛沢東の大躍進政策は失敗に終わり、2,000万以上の餓死者を出し、毛沢東
 は失脚していた。そのため、再度権力の奪還を目指して惹き起こした権力闘争
 が、この文化大革命なのである。

・この間中国は世界との断絶状態となり、中国は半ば鎖国状態となっていた。

・周恩来は寥らに指示して、学会を最大限利用して、日中国交正常化を進める
 ため、「対日工作4人組」を組織した。日中国交正常化とは、裏を返せば、
 日本と台湾を断行させることに他ならない。周の真の狙いはここにあったのだ。
 そのためこれら4人組は、寥承志を含め対日特務工作などを行ったことのある
 経験者を当てている。


[ 匿名さん ]
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