日露戦争時、ロシア軍捕虜は松山の捕虜収容所に送られました。
ここでの待遇は非常に良く、もちろん強制労働など無いばかりか、
戦場の日本兵よりも良い食事を与えられていました。
周辺にはロシア兵に意地悪しないように
"彼らもまた国のために命を懸けて戦った勇士、決して侮辱することの無いよう"
と言った感じの通告が出され、住民もそれを良く守りました。
捕虜は松山の街を比較的自由に歩き回ることができたようです。
また、将校に至っては妻子をロシアから呼び寄せることもできたそうです。
ロシアに誘拐同然で強制的に連れ出されたポーランド人などの
外国人兵士たちは形勢不利になると銃を投げ捨て
競うように「マツヤマ」「マツヤマ」と言いながら投降したそうです。