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🛎️ 男子プロレスラー


No.769446
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#15
金網の鬼」の異名をとり、ユニークなマイクパフォーマンスでも人気を博したプロレスラーのラッシャー木村=本名・木村政雄=さんが、24日午前5時30分、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の病院で死去した。68歳だった。通夜・告別式は遺族の意向により親族のみで執り行い、後日、改めてお別れの会、追悼興行を開催する予定。
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 金網の鬼が、鬼籍に入った。
 木村さんは00年、故・三沢光晴さんらと行動をともにしてプロレスリング・ノアの旗揚げに参加。61歳9カ月という日本人プロレスラーの現役最高齢記録も樹立したが、03年3月から体調を崩して休養。04年7月10日の東京ドーム大会でオーロラビジョンに登場し「このままでは迷惑がかかると思い、引退を決意しました。本当にありがとうございました。ご機嫌よう。さようなら」と、引退を発表。同年12月24日、終身名誉選手会長に就任した。
 その後は療養生活を続けていたが、昨年6月13日に三沢さんが試合中に急死した際には都内で同19日に営まれた密葬に参列した。それから1年もたたないうちに、三沢さんの後を追うようにして旅立っていった。
 木村さんは64年に大相撲の宮城野部屋から日本プロレスに入門し、65年4月にデビュー。東京プロレスを経て入団した国際プロレスではIWA世界ヘビー級王者としてエースに君臨。日本初の金網デスマッチを敢行し、「金網の鬼」として一時代を築いた。
 81年の国際崩壊後はアニマル浜口、寺西勇と新日本プロレスに殴り込み、アントニオ猪木とのプロレス史に残る抗争に突入。初登場時の「こんばんは」という、木村さんの人柄を表す丁寧なマイクパフォーマンスは伝説となっている。
 第1次UWFを経て84年に参戦した全日本プロレスでは故・ジャイアント馬場さんと抗争するも馬場さんを「兄貴」と呼ぶマイクパフォーマンスで大ブレーク。馬場さんと組んだファミリー軍団での悪役商会との抗争はマット界名物になった。
 39年間の現役生活で7団体を渡り歩いた木村さん‐そのプロレス人生は、まさに激動の日本プロレス史を象徴するものだった。


[ 匿名さん ]
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