泉川友樹(沖縄国際大学 沖縄経済環境研究所特別研究員)日中国交正常化50周年です。1972年9月29日に北京で田中角栄首相と周恩来総理が「日中共同声明」に署名、固い握手を交わした光景を覚えていらっしゃる方もいらっしゃることでしょう。この50年で日中関係はさまざまな分野で飛躍的な発展を遂げましたが、なかでも経済交流の発展には目を見張るものがありました。1972年には11億ドルに過ぎなかった貿易総額は2021年には3714億ドルとなり、日米貿易総額の2165億ドルを大きく引き離しています。経済的に見れば、日中両国はもはや切っても切れないかけがえのないパートナー同士なのです。では、日中経済交流はこれまでどのような道を歩んできたのでしょうか?50周年を期に少し振り返ってみましょう。実は、日中経済交流は国交正常化前からもごくわずかですが行われていました。1955年には東京で戦後初となる中国商品展覧会が、1956年には北京、上海、武漢で日本商品展覧会が開催されています。1957年4月には中国と西側諸国の貿易の窓口となる「広州交易会」が始まりましたが、日本のビジネスマンもこれに参加しています。この頃は直航便が飛んでおらず、香港から汽車に乗り換えて深セン経由で広州に入るルートが一般的でした。また、当時は日本のパスポートに国交のない中国の入国スタンプを押すことができず、別の紙に押したものを帰国時に回収、中国に入国した記録が残らないという、交流に大変な困難が伴う時代でした。さらに、中国は計画経済の時代であり「自力更生」を原則としていたために交流内容や貿易品目も限られ、日本との経済交流がこの時期に大きく拡大したわけではありませんでした。先達はその中でも苦労しながら着実に交流を積み重ねていったのです。
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