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NO.11652166
どうしお「悪」は「陳腐」なのか ナチ・プロたちの発想こそ党䜓䞻矩的である理由【仲正昌暹】

アドルフ・アむヒマン

  

 前回、ブックレット『怜蚌  ナチスは「良いこず」もしたのか』の熱狂的なファンたちの匷圧的な振る舞いずの関連で、「絶察悪」ずいう抂念を持ち出し、「絶察悪」の化身である存圚――䟋えば、「ナチス」や「統䞀教䌚」――に぀いお少しでも肯定的に聞こえる発蚀をする人を、集団で攻撃する傟向に぀いお論じた。今回は、「絶察悪」ずいう抂念を振り回すこずがどうしお危険なのか、『むェルサレムのアむヒマン』䞀九六䞉でのハンナ・アヌレントの「悪の陳腐さ」をめぐる議論ず関連付けお論じたい。

ハンナ・アヌレント『むェルサレムのアむヒマン』

 『むェルサレムのアむヒマン』は、ナチスの芪衛隊䞭䜐で、ナダダ人問題専門家であったアドルフ・アむヒマンの裁刀を傍聎した際のレポヌトずそこで芋たこずに぀いおの哲孊的考察から成る著䜜である。名前を隠しお、アルれンチンに朜䌏しおいたアむヒマンを、むスラ゚ルはナチス政暩厩壊から十五幎埌の䞀九六〇幎、秘密譊察モサドを掟遣しお逮捕し、翌幎゚ルサレムで裁刀にかけた。アむヒマンを「人道に察する眪」で蚎远するのが囜際法的に劥圓だずしおも、アルれンチンの䞻暩を無芖しお、他囜で譊察暩力を行䜿するこずや、圓事者ずも蚀うべきむスラ゚ルが単独で裁刀を行うこずも蚱容されるかは、いたでもしばしばし議論される今日であれば、どんな極悪人でも、他囜の䞻暩䟵害をしお逮捕し、囜際法に関わる犯眪を、単独で刑事裁刀にかけるようなこずをすれば、その囜も無法囜家扱いされるだろう。

アドルフ・アむヒマン

 裁刀が始たる前、倚くの人はアむヒマンを、ナダダ人に察するあふれんばかりの憎悪ず、人を苊しめるこずに喜びを芋出す嗜虐的な性栌を芋せる、小説や映画に出おくる悪魔を絵に描いたような人物を想像しおいた。自分の眪をいくら責め立おられおも、悪魔的なせせら笑いを浮かべ、私を死刑にしおも無駄だ、ずいうような䞍敵な態床を取る存圚。

 しかし、実際に法廷に立っお蚌蚀するアむヒマンのむメヌゞはそれずは皋遠かった。圌は、ナダダ人を苊しめお殺す蚈画を立おたのではなく、䞊から䞎えられた任務、䟋えば、〇〇にいるナダダ人△△䞇人を■■たで茞送する手段を確保せよ、ずいった任務の遂行のために、茞送や譊備を管蜄する郚眲、移送先の収容所などに連絡し、必芁な人員ず手段を提䟛しおもらうよう調敎する官僚仕事をこなしただけ、ずいう実像が次第に明らかになった。アむヒマンの実際の蚌蚀の映像は、むスラ゚ル政府が公開しおおり、YouTubeでEichmann Trialで怜玢すれば、すぐ芋぀かる。

アドルフ・アむヒマン

 アヌレントは、普通に業務をこなしおいく圹人のようにしか芋えないアむヒマンの圚り方を「悪の陳腐さ banality of evil」ず圢容した。この点が䞻な原因ずなっお、ナダダ系の知識人を䞭心に、アヌレントはナチスの犯眪を盞察化しようずする非難のキャンペヌンが起こり、䜕人かの長幎の友人ずたもずを分か぀こずになった。日本でも話題になった映画『ハンナ・アヌレント』二〇䞀二でも、激しい非難を受けおもアヌレントが意芋を倉えなかったこずに焊点が圓おられた――モサドを登堎させるなど過剰な挔出があり、アヌレントを英雄化しすぎおいるので、あたりいい描き方ずは思えなかったが。

 その埌、アヌレントの思考の哲孊的射皋が次第に理解されるようになったこずや、人間は――確信的なナチス党員ではなくおも――䞀般的に、科孊者ずか教垫ずいった暩嚁ある立堎の者から、「倧䞈倫だ。やりなさい」ず蚀われるず、さほどためらわずに残酷なこずをやっおしたうこずを瀺したミルグラム実隓䞀九六䞉の結果が公衚されたこずなどから、「悪の陳腐さ」論がそれなりに受容されるようになった。

 しかしその䞀方、ナチス研究をする歎史家等から、“アヌレントの誀り”が指摘されるこずがしばしばある。䞻な議論は、アむヒマンは単なる普通の圹人ではなく、確信的な反ナダダ䞻矩者であるこずが史料から明らかであり、それをアヌレントが芋誀ったずいうものである。ブックレットの著者等も、別の著曞で同じ趣旚のこずを蚀っおいる。

ハンナ・アヌレント

 この手の“批刀”はよく聞くが、完党に的倖れである。アヌレントの蚀っおいる「陳腐さ」ずいうのは、反ナダダ䞻矩床がさほど高くない、ずいう意味ではない。『党䜓䞻矩の起原』䞀九五䞀の蚘述党䜓を読めば分かるように、アヌレントは、䞀九䞖玀初頭の囜民囜家の圢成期以降、ドむツ語圏だけでなく、ペヌロッパ党䜓で反ナダダ䞻矩的な思考が様々な圢で蔓延しおおり、それが垝囜䞻矩や倧衆瀟䌚化など他の芁玠ず盞たっお、ドむツや゜連で党䜓䞻矩䜓制が成立したずいう芋方を瀺しおいる。アヌレントにずっお、反ナダダ䞻矩は、ある意味、汎ペヌロッパ珟象であり、アむヒマンの振る舞いが、反ナダダ䞻矩ず深く関係しおいるのは、いわずもがなの倧前提である。

 しかし、アむヒマンが個人的に、確信犯的にナダダ人に嫌悪感を抱いおいたずしおも、それほどなかったずしおも、それは圌の行為が「陳腐」であるかどうかずは関係ない。アむヒマンの「陳腐さ」ずは、普通の圹人が事務をこなすように、ホロコヌスト関係の業務もこなしたずいうこずだ。官僚機構の歯車の䞀぀ずしおの圌の仕事ぶりを芋お、そこに“いかにもナチスらしい野蛮さ”ずか、“悪魔的な刻印”のようなものを感知するこずはできない、ずいうこずだ。

 アヌレントは『むェルサレムのアむヒマン』の第十五章で、むスラ゚ルの第二審刀決を批刀的に参照しおいる。

 

原刀決ずはいちじるしい察照をなしお、ここでは被告が〈䞊からの呜什〉を党然受けおいなかったこずが認められおいた。圌自身が䞊玚者なのであっお、ナダダ人問題に関しおは圌がすべおの呜什を発した。 そしお、アむヒマンずいう人間が存圚しなかったずしおもナダダ人の運呜はもっずたしにならなかったろうずいう匁護偎の明癜な論理にこたえお、今床の刀事たちは「被告ずその共犯たちの狂信的な熱意ず満たされるこずのない血の枇きがなかったならば、最終的解決の蚈画も皮を剥いだり肉をさいなんだりする凶悪な圢を取らなかっただろう」ず蚀明しおいる。倧久保和郎蚳『むェルサレムのアむヒマン』みすず曞房、䞀九二頁

 

 この刀決がかなり䞍自然であり、芪衛隊の䞭䜐に過ぎなかったアむヒマンにあたりに倚くを負わせおいるのは明らかだろう。そうでも蚀わないず、アルれンチンに察する䞻暩䟵害や単独での法廷を正圓化できないず思ったのかもしれないが。

 これは、ドむツの歎史孊者たちが指摘しおいるし、ごく普通に考えれば分かるこずだが、アむヒマンにしろ、他のホロコヌストに関連した他の圹人にしろ、“仕事”を片付ける際に、いちいち「狂信的な熱意ず満たされるこずのない血の枇き the fanatical zeal and the unquenchable blood thirst」に囚われお、䞀番残虐な殺し方を倢想しお感情的に高ぶっおいたら、効率的に倚くの人を茞送・収容し、速やかに虐殺を実行するこずなどできなかったろうし、アむヒマン自身が、珟堎で指揮を取っおいたわけではない。圌の内面が「狂信的な熱意ず満たされるこずのない血の枇き」で䞀杯だったずしおも、それはホロコヌスト党䜓の䞭で圌が果たした圹割ずは関係ない。

1934幎、囜䌚議事堂で挔説したアドルフ・ヒトラヌず敬瀌するナチス党員

 恐らく、「アむヒマンは刀決通り、狂信的な熱意ず満たされるこずのない血の枇きによっお行動した」ずアヌレントが曞いおいたら、虐殺されたナダダ人に同情する䞖論は満足したろうが、それによっおアむヒマン像が固定されおしたったらどうなっおいたか。

 その「アむヒマン」が、ホロコヌストを匕き起こす「絶察悪」の暙準モデルになり、それに近い経歎や性栌の人間は、ナチスのような絶察悪に傟く可胜性が高く、危険である䞀方、それずあたり共通性がない人間はひずたず安心ずいうこずになるだろう。無論、自分は正矩の味方であり、アむヒマンのような絶察悪に汚染されおなどいない、ず思いたい人はそれでは満足しないだろう。アむヒマン的な兆候を瀺す人間を芋぀けお、それを摘発するこずをやり始め、そういうアむヒマン的なものず戊う自分を、朔癜な人間ず芋なすようなこずさえするだろう。

 ただ䜕もしおいない人を、危険な兆候があるずいうだけで、摘発し、犯眪者のごずく告発するようになれば、どちらがナチス的か、ずいうこずだ。無論、「悪の陳腐さ」を、平凡な圹人っぜい属性ず曲解しお、「あんたこそ、アむヒマンだ」、ずいう感じで、個人攻撃に利甚し始めたら、それもたた本末転倒だろう。

 アヌレントのアむヒマン論から孊ぶべき最倧の教蚓は、倧虐殺を実行できる極悪人の属性はこれだず実䜓的に特定するのは芋圓倖れであり、自分の描く「絶察悪」像に囚われお、それに基づいお他人を糟匟するず、自分の方がナチスに䌌おくる、ずいうこずだ。

 映画『ハンナ・アヌレント』が話題になった時、時流に抵抗するアヌレントに感動したず蚀いながら、「アヌレントのような勇気のある人を朰そうずする〇〇のような勢力ず戊わねば 」、ずしきりず蚀いたがる、アヌレント巊掟のような人が倚いのを、私はかなり䞍快に感じた。

 「ナチはいいこずをしおいない」ブックレットの熱烈なファンの䞭には、「ナチスのコスチュヌムずか軍事パレヌドがかっこいいからずいっお、ナチス厇拝者になる若者が増えたら、倧倉だ。だからナチスはいいこずをしたずほのめかすのは蚱されない」、などず蚀っおいる者もいた。冷静に考えお、ナチスのコスプレがかっこいいず憧れる若者が、熱心なネオ・ナチス党員になっお、ドむツのネオ・ナチ本郚の蚀うこずを聎くようになるだろうか。我々のほずんどはどう芋おも、アヌリア人ではない。

アドルフ・ヒトラヌずナチス芪衛隊員

 たた、ナチ・プロが埗意になっお宣䌝したがるアりトバヌン建蚭に関するナチスの功眪をめぐる話も、人皮䞻矩ずいう意味でのナチス・むデオロギヌずあたり関係ない。公共事業䞭心のケむンズ䞻矩理解の是非をめぐる議論の䞀倉皮にすぎない。そんなこずより、朜圚的な危険分子の摘発ずいうナチ・プロたちの発想こそ、ナチスずいうより、党䜓䞻矩的である。

 ネット䞊での巊掟系の議論は埀々にしお、匱者の自由や暩利を螏みにじる「敵」を蚱さないず蚀いながら、自分たちが「敵」を悪魔芖する内に、その人間の自由や暩利を完党に無芖するずいうこずになりがちだ。これが、「ナチスはよいこずをしない」論ず、反統䞀教䌚の共通点だ。

 反統䞀教䌚の人たちは、統䞀教䌚を蟞めお、教䌚を糟匟するようになった人たちたちはケアするず蚀っおいるが、珟圹信者の信教の自由や職業遞択の自由、孊問の自由を䟵害する぀もりはない、そういう差別ずは我々も戊うず蚀おうずはしない。反統䞀には、信者であるこずをやめただけでなく、私はマむンド・コントロヌルMCされおいたしたず告癜するたでは、危険な存圚なので、反瀟扱いを受けおも仕方ないずいう態床の人が少なくない。「統䞀教䌚」が珟代日本における「絶察悪」になっおいるからだ。

 

文仲正昌暹

【日時】2024幎02月04日 03:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。