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🍎 青森雑談総合


NO.10381402
津軽は創価学会の巣窟です。
古びた弘前《ひろさき》駅。青森支部弘前地区の十数人が首を伸ばす。1960年(昭和35年)8月29日。大時計は午後3時20分をさしていた。

あの急行「津軽」に、池田大作会長が乗っているはずだ。

        
青森の8月は、ねぶた祭の「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声で始まる。弘前、黒石、五所川原でも灯籠山車が満を持して出陣する。

しかし、今年は第3代会長が誕生して最初の夏。夏休み返上で折伏に討って出た。「みっけだ!」。田んぼの人影に声をかける。返事がない。よくよく見ると案山子だった。  行く先々で水をまかれ、塩をまかれた。

「いらね、いらね! もぉ来《く》な!」

反発されるほど燃えるのが、津軽のじょっぱり精神である。

29日、情報が飛び込んだ。池田会長が訪問先の北海道から、秋田経由の急行「津軽」で帰京する。

こうして弘前地区の面々は、弘前駅で待ちかまえていたのである。

「津軽」の茶色の客車の窓がサッと開いた。「お元気ですか!」。池田会長だった。

停車時間は短い。しかし、渾身の指導が奔《はし》った。「題目をあげ抜いてください!」「皆さまによろしく!」

祭りも盆も関係なく、弘教に汗を流してきた一人一人の顔が、くしゃくしゃになった。


ねぶた。竿灯。七夕。花笠。東北は冬が厳しいぶん、夏の祭りは燃え上がる。だが学会の夏は、もっと熱い。

82年の夏も、そうだった。8月22日、第1回宮城平和希望祭。

幸い、わが青森の友は、あの日を発火点として、栄光の歴史を重ねてきてくださった。
下北半島は、巨大なマサカリの形に見える。それは、いかなる悪も許さない、正義の斧であろうか。
さらに津軽半島と力を合わせ、陸奥湾から大海原に向かって口を開け、咆哮しているようにも見える。それは、平和への師子吼であろうか。
我らの青森は本州の「頭」である。ならば、全知全能をふりしぼって、祈りに祈り、動きに動き抜くことだ。
師子よ、立て!
師子よ、吼えよ!
力の限り、正義のマサカリを振るうのだ!
「大善」の旭日は高々と昇り、「大勝利」の旗は、青年の天地・青森の大空に堂々と翻ったのだ。

新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)
[ 匿名さん ]