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パンデミック、ウクライナ戦争、安倍元総理の暗殺、ChatGPTの衝撃・・・予測もつかない出来事が絶えず起こっている世界で、私たちがよく観察し、深く考えるべきこととはなんだろう。森先生の日常世界にそのヒントがたくさんひそんでいるようだ。ふと自分の足元を見つめ直したくなる「静かに生きて考える」連載第30回。

第30回　ものを作るときに考えること

【庭園鉄道の信号機システム】

　急にマニアックな話になるけれど、僕の庭園鉄道には信号機がある。本線は一周が500メートル以上あって、ぐるりと回って同じ地点に戻る一本道のエンドレスだ。僕一人が機関車を運転して走らせている場合は、信号機はいらない。誰も線路を横切らないし、ほかに走っている列車もない。

　しかし、ほんのたまにゲストが遊びにきて、それぞれに機関車の運転をする。複数の列車を同時に走ることがある。この場合、前の列車に追突しないような注意が必要となる。列車は急には停まれない。特に下り勾配のあるところでは、動力を切っても十メートルくらいは軽く走ってしまう。また、一箇所だけだが、線路が交差しているところがあって、ここへ同時に進入すると出合い頭の衝突事故になる。

　そういった事故を防ぐために信号機を設置した。というよりも、信号機を作って、その作動システムを考え、工事をすることが面白そうだから、というのが導入の最大の理由だった。

　信号機は全部で14箇所に設置され、走っている列車をセンサで感知し、自動で切り換わる。前の列車が近くにいるうちは信号を赤にして、後続の列車が追いつかないように停車させる。

　簡単に書いたが、これを実現するためには、各信号機どうしを結ぶ電線が必要だ。そこで、地中にパイプを埋め、その中に電線を通した。また、信号機が故障したときに、修理を想定してユニット化し、簡単に取り外して交換できるように設計した。一年の半分は氷点下になるため、屋外で時間をかけて修理をすることができない。故障した場合は、その部分だけを持ち帰って、工作室で修理をする。作動を確認するための試験装置も作った。

　列車の通過を感知するセンサは、超音波、赤外線、機械的スイッチなどをすべて試したが、１年ほどで不具合が出始めた。現在は磁気センサを採用し、既に３年以上、性能を維持している。屋外では、風雨、温度差、紫外線、害虫などで材料は劣化する。金属は錆び、木材は腐る。なかなか長期にわたって正常に機能するものが作れない。試行錯誤の連続である。

【何を使って作るか、どう作るのか？】

　なにかを作る作業、つまり工作は楽しい。まず、作りたいものがある。だから、何を作るのかは、だいたい最初から決まっている。次に考えるのは、何を使ってそれを作るのか、材料の選択だ。これは具体的には、適切なものを選ぶこと。たとえば、木材か金属かプラスティックか、といった素材から、使用できそうな部品、改造すれば利用できそうな既製品などまで。それと同時に、どのような構造にするのか、を考える必要がある。物体の組合せ方、あるいは電気の回路図なども構造といえる。

　さて、これらが決定しても、まだ考えることがある。

　それは、どんな手順でそれらを構築するのか。つまり工程、プロセス、施工を頭に思い描く必要がある。さきほどの信号機であれば、地中に埋め込んだパイプに電線を通せば良いし、電線とパイプは買ってくれば良いが、では、50メートルにもおよぶ地中のパイプに、どうやって電線を通すのか、という問題がある。方法を思いつきますか？

　図面で完璧に成立するような構造であっても、組み立てる順番を考えないと、実現できない。実際にそこに手が入らないとか、ボルトを締めようにもスパナが動かせないなどの問題に、作る段階になって初めて直面する。どうやって作るのかは、同様の工作経験がないと、想像が難しいだろう。

　完成したときの性能ばかりに目が行くのが普通だ。製品を買う消費者なら、それで充分かもしれない。しかし、どんな材料を使っているのか、どのような構造になっているのか、そして、どんな手順でそれが作られるのか、といった要素が存在し、そのそれぞれが、実はその製品の「性能」に含まれている。作りやすければ、結果的に安価になるし、またエネルギィを無駄に使わない。二酸化炭素を排出する量にも関わる。

　もう一つ、忘れてはならないのは、完成して、使用期間がある程度過ぎたときのことだ。どれくらい劣化するのか、故障が見つけやすいか、修理がしやすいのかなども、その製品の性能に含まれる。

　こういったことすべてが、自分でものを作ると、少し理解できるだろう。立派なものを作るだけではなく、数年後にどうなっていて、その修理にどんな手間がかかるのか、そのときに部品が手に入るのか、といったことまで見越して作る姿勢が重要である。

【作ることに興味がなくても、なにか作っている】

　「私は工作が趣味ではない」という人がきっと多いだろう。たとえば、一般に「文系」と呼ばれている人たちは、工作なんかしないかもしれない。「それは、理系のやることだ」と考えているかもしれない。しかし、それは違う。

　人は、生きている間、ずっとなにかを作っているのだ。たとえば、料理は普通に思いつくだろう。それだけではない、人間関係、地位、権利、そして自由なども、自分の力で作るものだ。これらは別の角度から見て、「信頼」とも表現される。

　信頼は、何を材料にして、どのような構造で、そしていかなる手順で構築されるのか、と考えてみよう。

　家族も友情も作るものである。今どき流行りの絆（きずな）も、「つながり」も、作らなければ手に入らない。どこかに売っていたり、偶然見つけられるものではない。ときには、種を蒔くだけで自然に育まれ、収穫できるものもあるにはある。ただ、それも「農作」と同じで、作るもののうちだろう。

　そして、さきほど指摘したように、それらは完成してお終い、というものではない。その状態が持続することが本来の価値なのだ。持続するための工夫が常に必要だし、あらかじめ、そういったことを想定して築かなければならない。なにかトラブルがあったときに、修復がしやすい形にデザインしておいた方が賢明だろう。

　愛情さえあれば、それで充分だと考えて作られたものは、強力な接着剤でなにも考えずに組み立てられた工作物に似ている。どこかの材料が劣化したときに、取り替えることができない。直しにくいものだ。一部の構造が強ければ、そこに力が集中してしまうから、比較的弱いところが壊れるだろう。大事なことは、全体のバランスが良いこと。常に、測定が容易なこと。また、どれくらい未来まで必要なものかを想定しておくことだと思われる。

【映像で考え、映像を残す】

　少々難しそうなことを書いたけれど、結局のところ、一人でこつこつと作っている時間が一番楽しい。こんなに面白いことがほかにあるのか、と毎日興奮の連続だ。

　信号機のシステムは、僕が一人で列車を運転しているときは、正常に作動している。でも、列車が複数走ったときにどうなのかは、なかなか試せない。だから、ゲストが運転をするときがチャンス。そして、だいたい、なにか不具合が見つかる。このようなトラブルがあると、嬉しくなってしまう。「どうしてだろう？」というミステリィに出会い、これを解決するのも楽しみの一つだからだ。

　ところで、この信号機システムを製作したときに回路図を描いたのだが、それが一冊のファイルになっている。文章はなく、20枚ほどの図面、つまりすべて絵である。僕が頭で思い描くものは、ほとんどが映像であり、言葉ではない。「人間は言葉で考える」といわれるが、僕には当てはまらない。トリックもストーリィも映像で発想する。だから、メモを取らない（取れない）。

　図面にしておく理由は、頭の記憶映像がしだいにピントがずれ、ぼやけてくるからだ。ぼやっとしていても、何がどこに描いてあるかは忘れない。だから、そのファイルのどこのページのどのあたりかを覚えている。細かいところにピントが合わないだけだ。人の記憶は、デジタルではなくアナログだから、忘れて失われるのではなく、焦点が合わなくなる。ただ、文章はデジタルだから、忘れたら消えるだろう。

　そういえば、僕の家族は、スケジュール帳やカレンダ、それに日記も、全部絵で描いている。文字を書くような文化が、森家にはなさそうである。

 文：森博嗣

【日時】2023年05月29日 17:00
【提供】BEST TiMES

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