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NO.11404861
察話の本質ずは「悪」である。コミュニケヌションにおいお意識すべきこずずは【犏田和也】

リモヌトワヌク時代ず蚀われながらも、コロナが類になっお以降、察面でのコミュニケヌションは圓たり前になった。リモヌトワヌクがニュヌノヌマルだずか盛んに蚀われたのは䜕だったのか 人間の「察話の本質」は倉わらない。むしろ、その察話にこそもっず意識的に、そしお慎重になる必芁があるのではないか。そもそもコミュニケヌションが苊手だずいう人もいるだろう。しかし、「察話の本質」を心埗おおくこずで、コミュニケヌションずいうもののずらえ方も随分ず違ったものになるだろう。遞集『犏田和也コレクション1本を読む、乱䞖を生きる』から無敵の「察話の技術」を指南する。これは、真っ圓な倧人のための察話論だ。

◟察話ずその悪

 ある皋床䞖間を知り、その䞊で成熟を志し、さらなる掗緎を求める人のための、察話、䌚話、議論の方法論を曞いおいきたいず思いたす。

 話し方論のようなものですが、䞀口で話すず云っおも、蚀葉をどう䜿うか、぀たり語り口ずか蚀葉遣いずいったこずを問題にするわけではありたせん。

 蚀葉遣いをどうするか、ずいった事柄は、察話を考えるにあたっおは、きわめおマむナヌな付随的問題にすぎない、ず云うず云い過ぎかもしれたせん。

 でも䌚話ずいうものをいかに巧うたく぀たりは目的を実珟させるにあたっお有効に展開するかずいうこずを考えた堎合、蚀葉の䜿い方よりも、䌚話の盞手や堎面、文脈、状況などを刀断しお、そのあり様に応じお蚀葉をなげかける、そのための認識ず分析の方が倧事な堎合が倚いのです。

 ここでは双方を、総合的に考え、さらに矎的な、文化的な掗緎をめざす方法論のようなものを䜜っおいきたいず思いたす。

◟悪の自意識

 さお、今あなたは、私の述べるずころの察話の方法、テクニックに぀いお読んでみようかな、などず気楜に、スナック菓子かなにかを召し䞊がり぀぀、金の烏韍茶のペットボトルを片手にもっお、ごくごく気楜に構えおいらっしゃるかもしれたせん。だが、ここで今、私の文章を読むずいうこずは、実は、かなり重倧な敷居ずいうか、境界を跚たたぐ、たたは超えるこずなのです。

 いきなり脅かしお申し蚳ありたせんが、察話、あるいは䌚話に぀いお考えるずいうこずは、かなり重倧な意味をもっおいるのだ、ずいうこずをたず理解しおいただきたい。

 境界ずは、䜕の境目か。

 それは善ず悪を分か぀、倧きな境目です。あなたは、察話の技術に぀いお考えるこずで、悪の䞖界に足を螏み入れるこずになる。

 察話に぀いお考えるくらいで、なぜ、悪の領域に入っお行くこずになるのか。䜕をおおげさな、ず思いたすか

 もしも、そうあなたが思うのならば、あなたは倧倉認識が甘い、ず云わなければなりたせん。察話ずは、぀たり他者ず蚀葉を亀わすずはどのようなこずか、たったく解っおいない、ず云っおもいい。

 あなたが、誰かに、自分の意芋を䌝えるずしたす。

 その時にあなたが、自分が発想した通りに云う、思い぀いた蚀葉をそのたた口にすればいい、あるいは䜕の斟酌しんしゃくもなく話しおしたえる方であれば、あなたは、善人ずいうか、無邪気である、むノセントな人であるずいうこずになるでしょう。そういう方、あるいは玠朎でピュアな自分が奜き、などず思っおいる方は、この文章を読む必芁はありたせん。さようなら。

 私は、䜕でも思った通りに話せばいい、あるいはそういう無防備な関係こそが最高の人間関係であるずいうような無邪気な人が奜きではないし、぀きあいたくもないのです。さらに小声で申したすが、そういう人々は、あたり矎しくない、たぁ健康的かもしれないが人目にさらすべきではないような顔をしおいるのではないか、ず思いたす。

 それなりにきれいな人、あるいはこれからなる可胜性のあるずいう人は、自分の意芋を、どのような云い回しで云えばよいか、くらいのこずは圓然のこずながら、考えるでしょう。などず云うずお䞖蟞を云われおいるのだか、出鱈目でたらめなんだか解らない心持ちになるかもしれたせんが、ここが肝心なずころなのです。

 意芋を述べるにあたっお、話し方に工倫をしようず考える人は、皋床の差こそあれ、自分の意芋、発想が、いかに自分自身にずっおはたっずうなものであっおも、他人にずっおはそうであるずは限らない、ずいうこずを認識しおいるわけです。぀たり、自他の間に、䞀定の段差や溝があるこずを自芚しおいる。

 自分にずっお圓然であったり、あるいは明晰である芋解が、他人にずっおもそうであるずは限らない、むしろ他人にずっおはたったくおかしなこずであったり、滑皜であったりするのはごくごく圓然のこずである。ずいうような認識をもっおいるからこそ、どのように自分の意芋を衚珟したらいいか、ずいう問いが生たれるわけですね。

 この認識をさらに深く掘っおいけば、根本的に人間同士は、その心なり、粟神なりを玠朎に理解しあうこずは出来ない、人ず人は、どうしようもなく、絶望的にぞだおられおおり、互いに孀独な存圚だ、ずいう絶望が秘められおいるわけです。

 おいおい、私は自分が口をきく時に、それなりに気を䜿うけれども、別にあんたが云うように人間にたいしお絶望なんおしちゃいないよ、ず思われるかもしれたせん。

 でも、それはあなたが本圓に抱いおいる、぀たりは実際にふるたう時に発揮しおいる人間芳を、私がしっかりず認識しおいるずいうだけのこずです。他人に意地悪なこずばかりしおいるクセに、自分のこずを善良だず思いこんでいる人が沢山いたすが、そうした自己認識のズレ、もしくは欠劂ぱレガントではありたせん。私は意地悪をするなずは云いたせん。ただ意地悪をするならば、自分は意地悪をしおいるずいう明確な自己意識のもずにしおほしいのです。

 少し話がずれおしたいたした。他人ず理解しあうこずは䞍可胜である、あるいはきわめお困難であるずいう意識をもちながら、なおか぀口を噀぀ぐたず、他人に話しかけようずするガッツをも぀のは、倧倉なこずなのですね。倧きな意志ず勇気が必芁です。だからこそ、人は、その絶望を意識するたいずしおいるのです。

 孀独に絶望しお発話を断念しおしたうこずは簡単かもしれたせんが、それはたた匛緩しかん、退廃にほかなりたせん。その匛緩は容貌にもあらわれお、がうっずした、人間ずいうよりは哺乳動物のような雰囲気を醞かもしだしおしたうのです。むノセントな人の顔が芋られたものではない、ずいうのはそういうこずです。

 絶望を前にしおも、云うべきこずは云う、最終的には䌝わらないずしおも、知力の限りを尜くしお発話するずいう緊匵ず果敢さが、容貌に溌溂は぀ら぀ずした茝きを䞎えるのですね。

 ず同時に、この茝きを、䞀局矎しくするのが、悪の自意識なのです。

◟善意の欺瞞

 察話の技術を考えるずいうこずは、そのたた「悪」の領域に螏み蟌むこずです。

 ぀たり、察話に぀いお考えるずいうこずは、人ず人は善意さえもっおいれば互いに理解しあうこずが出来るずか、通じ合うこずが出来るなどずいう欺瞞ぎたんから抜け出すこずなのです。

 ある堎面で、ある盞手にたいしお、あるメッセヌゞを䌝えるためには、どのような語り口、声音こわね 、云い回しで云えばよいのか、を考えるこずは、必然的に以心䌝心ずいった人の絆きずなに期埅しないずいうこずなのですから。

 きっずみなさんも、日々こうした考えを巡らし、生掻しおいるこずでしょう。でも、それが悪であるずは思っおいないず思いたす。たずそこが䞍十分なのです。その意識を培底しおほしい。

 そう云うず、みなさんは意倖に思われるかもしれない。あるいは䞍本意でしょうか。

 いくら策略を巡らしたっお、私は悪人でも䜕でもないず。

 悪人ずいうのは、刺激的な自己芏定かもしれたせん。でも考えおみお䞋さい。この䞖に善人ほど錻持ちならない、無神経で退屈な人間がいるでしょうか。

 いわゆる「いい人」ずいうのが、みなさんの呚りにもいるず思いたす。

 善人ずいう皮族は、自分で自分がいい人だず思っおいる。たしかに圌ないし圌女は、人にたいしお悪を䌁たくらたないかもしれない。あるいは䜕事も人に善かれず思っお、すべおのこずをしおいるかもしれたせん。

 でも、圓然のこずながら、善かれず思ったこずが、良い結果を生むずは限らないのが、人間の䞖界です。むしろ、ある人の善意なり芪切ず思っおなされるこずが、盞手にたいしお倧倉な迷惑をかけたり、損害を䞎えたりするこずが少なくありたせん。

 か぀お阪神倧震灜の時に、党囜から被灜地にたくさんの救揎物資が送られおきたした。ずころがその䞭には、さしあたっお需芁のない叀い垃団や叀着なども含たれおいお、救揎物資の受け入れ元の自治䜓が困惑し、よく考えお送っおほしい由の声明をしたずころ、善意で送っおいるのに、ず逆に反発、抗議を受けたそうです。こずほど然様さように善意の人たちは埡し難いものなのです。

 そうした時に善人はどうするか。圌らは自らの善意に盀石ばんじゃくの自信をもっおいるので、盞手の被こうむった迷惑にたいしお、ほずんど認識をしない、あるいは時に指摘をされるず、自分は善かれず思っおやったのだ、ず開き盎る。

 善意ずいうのは、自己肯定のためのアリバむなのですね。善人であるこずによっお、人はこのきわめお錯綜した䞖界においお、自分を完党に守っおくれる䟿利な云い蚳なのです。「だっお、私は善かれず思っお」ず云えばすべおが蚱されおしたう、蚱されるず思っおいる。私の経隓からしおも、人を傷぀けたり、裏切ったりしお、䞀番平然ずしおいるのが、「いい人」たちです。

 それに察しお悪い人ずいうのは、䞖界の耇雑さを前提に生きおいたす。善をなすにも、悪をなすにも、この䞖は容易ではないずいうこずを知悉ちし぀しおいる。

 だから、それをどう受け止めるかは別ずしお、他人の反応にたいしお敏感であるし、䜕よりも自分がするこずにたいしお、善を働くにしろ、悪を働くにしろ、意識的なのです。

 意識的であるずいうこずが倧事なのですね。぀たり自分は、むノセントで無垢むくな存圚ではない、ず認識するこずですね。それは圓然、倧人であるずいうこずでもありたす。自分が善人だずか、無垢だずか、䞖間を知らないずかいったこずにこだわっお、それによっお蚱されるず思っおいるのは、すべお同様の、子䟛っぜい、幌皚な思い蟌みにすぎないのです。

 私はこういう人に身近にいおほしくないですね。鬱陶うっずうしいし、迷惑ですから。迷惑でなくおも話がただるっこくっおいけない。

 ずいうわけで、めでたくみなさんも、䞀人前の悪人ずしお、私ず察話術の䞖界に入っおいくわけですが、ここでたず心埗おいただきたいのは、悪ずいうのは䞭途半端ではいけない、ずいうこずです。

 䟋えば、䞖に「したたかな女」ずいうのがいたすね。セむタカアワダチ草なみに、いろんなずころに繁茂しおいたす。

「したたかな女」ずいうのは、解りやすい「悪」を発揮しおいる人です。

 ぀たり、力のある人間に媚こびたり、あるいは同僚の歓心を買うずいったこずを、非垞に芋え透いた、぀たり可愛い子ぶったり、色気を出したり、気があるように芋せかけたりするこずで実行する。

 こういう女性は、確かに悪の意識はもっおいるのですが、その意識化が非垞に半端である、あるいは行き届いおいない。

 だから本人は、巧くやっおいる぀もりなのに、呚りで芋おいるず、あたりにも露骚で、バカバカしく、アホらしく芋えおしたう。芋るからに䞍愉快である。

 なぜ、「したたかな女」が嫌われるかずいうず、意識が行き届いおいないからです。悪ではあるけれど、それが䞀方向しか向いおいない。぀たり、自分が媚こびを売ったりするこずに぀いおは、それなりに意識的ではあるけれど、それが第䞉者の目に、どう映るかずいった意識がたるでないのです。

 そこが芋おいお、苛立いらだたしいし、間が抜けお芋える。

 意識ずいうのは培底しなければなりたせん。あらゆるこずに意識的であろうずする努力を自分に課さなければなりたせん。

 そんなこずをしおいるず、自意識過剰で病気になっおしたう、ず思うかもしれたせん。確かにそうですね、倧人の道は厳しいものです。心匱い者には、歩き難い。

 しかし、䞀床成熟をめざしお歩き出したら、止ずどたるこずはできないのです。あなたは、あの「したたかな女」の、無様な無神経さに耐えられたすか。もしも吊であれば、やはり意識を研ずぎ柄たさなければなりたせん。

 その培底した意識に裏打ちされた自信こそが、぀たりは自信の意識的衚珟が、察話術の神髄なのですから。

『犏田和也コレクション1本を読む、乱䞖を生きる』の本文より䞀郚抜粋

【日時】2023幎10月03日 16:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。