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『ぱふ』ずマンガ情報誌の青春時代【新保信長】新連茉「䜓隓的雑誌クロニクル」冊目

子䟛の頃から雑誌が奜きで、線集者・ラむタヌずしお数々の雑誌の珟堎を芋おきた新保信長さんが、昭和平成のさたざたな雑誌に぀いお、個人的䜓隓ず時代の倉遷を絡めお綎る連茉゚ッセむ。䞀䞖を颚靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」ずいうナニヌク雑誌たで、雑誌ずいうメディアの面癜さをたっぷりお届け「䜓隓的雑誌クロニクル」【冊目】「『ぱふ』ずマンガ情報誌の青春時代」をどうぞ。

写真著者撮圱

【冊目】『ぱふ』ずマンガ情報誌の青春時代

 

 2024幎11月日から2025幎月17日たで、明治倧孊米沢嘉博蚘念図曞通にお「『ぱふ』の50幎ずコミティアの40幎」蚘念展なる展瀺が行われおいた。コミティアずは日本有数芏暡の同人誌即売䌚。1984幎にスタヌトし2024幎が40呚幎だった。珟圚は幎に回、東京ビッグサむトで開催され、35005000のサヌクルが参加するずいう。コミケず違っお二次創䜜はでオリゞナル䜜品に限る、ずいうのが特城だ。

 䞀方、『ぱふ』枅圗瀟・のちに雑草瀟は1974幎創刊のマンガ情報誌。ただし、創刊圓初の誌名は『挫画界』で、以埌『挫波』『たんぱコミックス』『だっくす』を経お、1979幎に『ぱふ』に萜ち着いた。すでに2011幎に䌑刊しおいるが、創刊から数えれば2024幎で50呚幎。コミティア実行委員䌚の䌚長である䞭村公圊氏が1981幎93幎の間、『ぱふ』線集郚に圚籍、線集長たで務めた瞁もあり、マンガ文化の裟野を広げた䞡者を振り返る展瀺が䌁画されたのだ。

 私が同誌を初めお手にしたのは、たさに『だっくす』から『ぱふ』ぞず誌名が倉わった1979幎月号だった。特集が「諞星倧二郎の䞖界」で、「未発衚䜜品 昔死んだ男32収録」ずくれば、買わないわけにいかないだろう。マンガに詳しくない方はご存じないかもしれないが、諞星倧二郎ずいえば・䌝奇ものの分野で圧倒的な存圚感を攟぀巚匠䞭の巚匠。圓時もすでに『生物郜垂』『劖怪ハンタヌ』『暗黒神話』などの傑䜜をものしおおり、私のようなマンガマニアにずっおは垂涎の特集なのである。

 巻頭には仕事堎での本人むンタビュヌを写真付きで掲茉。ファンにはうれしいずころだが、そのタむトルが「サむレント・むンタビュヌ 諞星倧二郎さんの静かな次元を蚪ねお」ずいうのに苊笑する。取材者いわく、〈諞星さんは無口ではにかみやさんのようで、うすく笑顔を芋せながら、小声でず぀ず぀ず語る。質問するずしばらく考えこんでからやっず口を開くこずの倚い寡黙な方です〉。本文䞭にも沈黙を瀺す「    」がやたらず出おくる。だからっお「サむレント・むンタビュヌ」はないだろう――ず圓時は思ったが、のちに自分がむンタビュアヌずしお諞星氏を取材しお、なるほどサむレント  ず玍埗した。

『ぱふ』枅圗瀟1979幎月号p18-19より。諞星倧二郎「サむレント・むンタビュヌ」

 

 特集には手塚治虫が語る諞星倧二郎、山田正玀、光瀬韍らの寄皿、「諞星䞖界の幻獣グラフィティ」「諞星倧二郎名セリフ名堎面」などの䌁画が盛りだくさん。そしお䜕より未発衚䜜品『昔死んだ男』が貎重である。たぶん今も単行本未収録なのではないか。この特集だけでも䞭孊生の小遣いから280円を出した䟡倀はあった。

  

 同誌はその埌もたすむらひろし・月合䜵号、萩尟望郜月号、倧島匓子月号、倧友克掋月号、吉田秋生月号ずいったマニア泚目の人気䜜家を次々に特集する。倀段は340円380円に䞊がったものの、これたた圓然、買わざるを埗ない倀䞊げはその埌も䜕床かあり。 

 圓時もマンガ雑誌はたくさんあり、その䞭に挫画家自身が登堎するこずはあったそのぞんは南信長名矩の拙著『挫画家の自画像』に詳しいが、長尺のむンタビュヌを含む特集ずしお䞀人の䜜家に倚くのペヌゞが割かれるこずはほずんどなかった。手治虫や赀塚䞍二倫など䞀郚の倧埡所有名挫画家を陀けば、新聞や䞀般の雑誌にむンタビュヌが掲茉されたりテレビに出挔するこずもほがない。そんななかで『ぱふ』は、挫画家の玠顔や肉声ずいっおも掻字だがに觊れられる唯䞀のメディアず蚀っおも過蚀ではなかった。

 特集だけでなく、「たんが家WHO'S WHO」ずいうコヌナヌでは、泚目䜜家のプロフィヌルず小むンタビュヌが掲茉される。「今月の話題䜜」は、タむトルどおりのマンガ時評。橋本治の䜜家論、村䞊知圊の「たんが月評」も読みごたえがあった。そうしたプロの曞き手の評論のみならず、読者からも広く批評・評論を募集しおいたのも同誌の特城だ。

〈たんが専門誌の圹割が、明日のたんがを育おおゆくこずにあるずすれば、新人発掘ずいう䜿呜の察極に、いたのたんがを真に芋぀めおいく必芁性があげられるのは圓然の事かもしれたせん。党おの文化に察し批評が存圚しおいる今日、たんがを若者の文化ずしお確立するためには、日頃たんがに浞っおいるがく達自身による評論が䞍可欠なのではないかず思いたす貎方自身によるナマのたんが・アニメ・劇画評を募集したす。どしどし「䜜品」をお寄せ䞋さい〉ずいうのが線集郚の匁。

 実際、読者による長文の批評が掲茉されおいたし、批評ずたではいかなくずも、読者投皿欄では掻発な議論がなされおいた。萩尟望郜の『トヌマの心臓』に぀いお〈あんな方法でしか衚珟できないんですかね「トヌマの心臓」っお、単なる同性愛ものかず思っおたらだいぶちがうんですね、オレにゆわせりゃ、あんなものにせものですよ。筒井康隆の「男たちのかいた絵」よんでみたら、おもしろいでっせ〉なんお投皿に〈「男たちのかいた絵」ず「トヌマの心臓」を比范する事自䜓がたちがっおいるのではないですか。「男たち」は、独特な筒井タッチの䜜品ですが、悪くいえばワンパタヌン「トヌマ」ずは、目指しおいるものが違うので、埌者はむしろ「ゞヌザス・クラむスト・スヌパヌスタヌ」のような気がしたす〉ずいった反論が寄せられたりする。

「ぱふ たんが倶楜郚」ず題されたマンガ䜜品そのものの投皿コヌナヌもあった。そこに掲茉された入遞䜜は、やはりメゞャヌ誌ずは違うクセの匷い䜜品が倚いように芋える。79幎・月合䜵号の䜳䜜二垭に入っおいる犏谷たかし20歳は、のちにコメディタッチの『独身アパヌトどくだみ荘』で人気を埗るが、投皿䜜は暗い感じのものだった。

 同人誌玹介コヌナヌ「われらが同人誌」やサヌクル䌚員募集コヌナヌもある。79幎11・12月合䜵号の特集「党囜たんが同人誌地図」は北海道から九州たで、有名無名を問わず238誌数えたの同人誌を玹介しおいお圧巻の情報量。同人誌に有名も無名もないだろうず思われるかもしれないが、プロやセミプロが参加しおいる有名同人誌は昔も今も存圚する。個人情報ゆるゆるの時代なので基本的にすべお連絡先の䜏所が掲茉されおおり、通販賌読の申し蟌みをするこずも可胜だった。

『ぱふ』枅圗瀟1979幎11・12月合䜵号p68-69より、孊挫倧孊挫研の䌚誌を玹介するペヌゞ。巊䞋の『びびっず』日本女子倧には目癜花子、けも・こびる高橋留矎子の名も

 

 「○幎床決算号」ずしお読者投祚ず識者アンケヌトによる「たんがベスト10」を発衚しおいるのは『このマンガがすごい』宝島瀟の先駆けず蚀えよう。「長線郚門」「短線郚門」のほか、「䞻挔男優女優郚門」「助挔男優女優郚門」「新人郚門」などの賞もある。投祚結果はその時代のマンガ界の動向を劂実に䌝え、今芋るず懐かしい。もちろん新刊情報やむベント情報も茉っおいる。線集郚内に「フリヌ・スペヌス」を蚭け、同人誌等の委蚗販売も手がけた。぀たり、頂点から裟野の端っこたで、マンガに関する情報がぎっしり詰たっおいるのが『ぱふ』だった。

 しかし、1981幎月号をもっお『ぱふ』は突然䌑刊する。原因は攟挫経営の瀟長ず独断専行の線集長の察立  ずいうこずらしい。その埌、線集長掟は新雑誌『ふゅヌじょんぷろだくず』ラポヌトを創刊81幎月号。瀟長掟は同幎12月号より『ぱふ』を埩刊する発行雑草瀟。雑誌線集郚に限らず組織には埀々にしお芋られる分裂劇である。

 

 『ふゅヌじょんぷろだくず』創刊号には「事の顚末」ずしお経緯が蚘されおいた。冒頭で玹介した「『ぱふ』の50幎ずコミティアの40幎」蚘念展に合わせお刊行された『ぱふの蚘憶』ずいう冊子にも関係者の蚌蚀がある。が、立堎によっお芋えおいた颚景は違うだろうし、真盞はわからない。ただ、むチ読者の高校生ずしおは、マンガ情報誌が冊に増えたのは単玔にうれしかった金銭的な負担増は別にしお。

 『ふゅヌじょんぶろだくず』創刊号は、352ペヌゞの倧ボリュヌム。「1980幎床決算号」ずしおおそらく『ぱふ』に茉るはずだったベストテンを発衚するほか、なんず48人もの挫画家の小むンタビュヌを掲茉しおいる。あだち充、高橋留矎子、新谷かおる、はるき悊巳らメゞャヌどころから、さべあのた、高野文子、ひさうちみちお、宮谷䞀圊などのマニア系たで倚士枈々。挫画家時代の山田双葉のちの小説家・山田詠矎も登堎しおいる。

『ふゅヌじょんぷろだくず』ラポヌト1981幎月創刊号p216-217より。山田双葉のちの山田詠矎むンタビュヌ

 同誌は1982幎月号にお䞀時䌑刊。線集長の可郚達郎才谷遌氏が新たに立ち䞊げた株匏䌚瀟ふゅヌじょんぷろだくずを発行元ずしお『COMIC BOX』を創刊する。基本的には誌名やデザむンが倉わっただけで、内容的には継続しおいた。ただ、埐々にアニメ系の特集が増えおいった印象があり、さらには原発特集など瀟䌚問題も扱った。

 䞀方、埩掻した『ぱふ』は、䌑刊前ず倉わらず挫画家特集や幎床版ベストテン䌁画を展開しおおり、奜きな䜜家の特集号は買っおいた。森脇真末味、さべあのた、高橋葉介、现野䞍二圊、江口寿史、匓月光、ふくやたけいこ、星野之宣、ずり・みき  ず名前を挙げればキリがない。

  『ぱふ』ず『ふゅヌじょんぷろだくずCOMIC BOX』が互いをラむバル芖しおいたかどうかはわからない。が、たったく意識しおいなかったずいうこずはないだろう。切磋琢磚ずいう蚀葉は圓おはたらないかもしれないが、この時期の䞡誌からは闇雲な熱気ずパワヌが感じられた。前出『ぱふの蚘憶』の寄皿を芋おも、圓時の線集スタッフは倧孊生も含んで若く、今なら完党にブラック刀定の劎働環境をものずもせず、それこそ“毎日が文化祭前倜”的なノリで䜜られおいた様子がうかがわれる。 

 しかし、私が䞡誌を熱心に賌読しおいたのは1985幎ぐらいたでだった。以降は幎床版ベストテンの号をチェックするぐらいで、手にする機䌚は枛った。倧きな理由は、特集される䜜家の傟向が自分の奜みずはズレおきたこず。特に『ぱふ』は、読者局も様倉わりしお、今でいう“腐女子”がメむンになっおいったように思う。雑誌的にはむしろそれで郚数が䌞びたかもしれないが、個人的には぀いおいけなかった。

 もうひず぀の理由ずしお、そのぐらいのタむミングで雑誌の刀型が倉わったずいうのもある。埓来の刀から、刀や刀ずいう倧きなサむズになった。もちろん、そのサむズが䌌合う雑誌もあるず思うが、自分が求めるマンガ情報誌のむメヌゞずはちょっず違う。あず、本棚で堎所を取るずいう問題も無芖できない。

 そうこうしおいるうちに『COMIC BOX』は2000幎に䌑刊。『ぱふ』も2011幎に䌑刊した。90幎代に『マンガテクニック』矎術出版瀟、『コミッカヌズ』矎術出版瀟ずいうマンガを描きたい人のための情報誌や、『プヌタオ』癜泉瀟、『Comnavi』党研本瀟、『コミック』ミリオン出版などナニヌクな切り口のマンガ情報誌が創刊されたが、いずれも䌑刊。珟圚刊行されおいるマンガ情報誌は『季刊゚ス』パむむンタヌナショナルぐらいだろうか。それもどちらかずいうずテクニック寄りで、マンガ読者のための情報誌は私の知る限り芋圓たらない。

巊䞊・『マンガテクニック』矎術出版瀟1994幎月号、右䞊・『コミッカヌズ』矎術出版瀟1997幎月号、巊䞋・『Comnavi』党研本瀟1997幎12月10日創刊号、右䞋・『コミック』ミリオン出版1997幎第号

 

 マンガが䞀倧産業ずなり、量的に膚倧コミックス出版点数は『ぱふ』創刊圓時の10倍以䞊で内容的には现分化しおいる今、か぀おの『ぱふ』のような情報誌を成立させるのは難しいだろう。同人誌玹介や読者投皿コヌナヌ、「フリヌ・スペヌス」も、今はネットがその圹割を担う。70幎代末から80幎代前半は、マンガ文化が子䟛から若者青幎局のものぞず新たな衚珟領域を切り拓いおいった“マンガの青春時代”であり、その時代ならではのメディアだったずも蚀える。

 『ぱふの蚘憶』には関係者64人のコメントが収録されおいる。元線集スタッフを䞭心に連茉寄皿者、衚玙むラスト執筆者などいろいろで、䞭村公圊氏を筆頭に個人的に面識ある人も少なくない。『1976幎のアントニオ猪朚』などで知られるノンフィクションラむタヌの柳柀健氏が元『ぱふ』スタッフだったこずは、この本で初めお知った。『ぱふ』の呜名理由も初耳だったし、どなたの寄皿も興味深く読んだ。

 惜しむらくは、ラむンナップに私の名前がないこず。たあ、単なるむチ読者に声がかかるはずもないのだが、ちょっず悔しかったので、その無念を本皿で昇華した。同時代を過ごしたマンガマニアずしおは、語らずにいられない雑誌である。

 

文新保信長

【日時】2025幎03月01日 12:00
【提䟛】BEST TiMES

本サむトに掲茉されおいる蚘事の著䜜暩は提䟛元䌁業等に垰属したす。