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NO.8970471
『まだ伊藤博文にこだわっているか…韓国』日本では大河ドラマの人だぞ、すでに

2020年10月、【定礎】という文字をどこかでご覧になったことはないだろうか。

それなりに大きいビルやマンションの入り口付近にはめ込まれている看板みたいなものだ。

それはちょっとしたタイムカプセルになっていて、プレートの後ろには、その建物が作られた時代に流行っていたものや建てられるまでのいきさつ、関係者の名前などの書類ものなどが入っている。

その建物が壊されない限り、見ることはできない。

しかし、壊されるときは、時代も変わっているし、関係者が持ち出すと言うことも少なく、そのまま処分されることが多いけれど。

そして、定礎の文字は、その建物に一番関係の深い人の直筆を掘る。

もちろん人間だから、文字の上手下手はある〜なので、書家にゴーストを頼むこともある。

さて。

韓国銀行本館は、1909年に定礎された。

その時の定礎の文字が、日帝初代総監である伊藤博文のものだと、21日に韓国文化財庁が発表した。

日本では、伊藤博文は、初代総理大臣である。

しかし、もう令和時代の人間の中では、1,000円札の人(昭和を生きてきた人)、大河ドラマの幕末物によく出てくる人くらいの認識であり、リアルな人間像は皆無に等しい。

しかし、伊藤博文は、韓国で英雄として扱われて、銅像にもなった(韓国は、慰安婦を含め、銅像が大好き)安重根に暗殺されている。

伊藤も強引なことをしたのかもしれないが、韓国人の手によって殺されたことを忘れてはいけないのだ。

問題は、100年以上経って風化が激しいその定礎石を取り払えと、韓国の議員たちは騒いでいることだ。

韓国文化庁は、書体関連の専門家3人に依頼して、伊藤の文字だという結論とした。

しかし、昔もゴーストはたくさんいたので、書家の鑑定だけでなく、科学的な実証が行われてこそではないか。

韓国文化庁は、こうも言っている。

「文字を刻む過程で、画の間が離れるべき部分がくっついていて、筆が通り過ぎた場所の書体を活かすことが出来なかった」。

なら、その文字は、掘った石屋の文体であり、伊藤のものという確証はない。

まず、この定礎石を取り払う費用を日本に求められているわけではないので、放っておくのが一番だが。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ならぬ、日本憎けりゃ石まで憎い。

削った石の中から、韓国にとって歴史上まずい書類が出てこなければいいのだが。
【日時】2020年10月26日 08:15
【提供】Global News Asia
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