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NO.10878425
日の丸・禿髪破羌の源賀と河南源氏と源氏氏族
「日の丸」デザインの原型は、中国三国時代に遡る。この時点では、後を含め日本とは関与していないもよう。
後の中国五胡十六国時代に南涼王の子である禿髪破羌が南涼の滅亡後、北魏に仕えた際に太武帝から「禿髪氏」と「拓跋氏(北魏の帝室の姓カバネを与えられ、「源賀」と名乗る。
禿髪氏の支流に中国の旧河南郡洛陽県を本貫とする鮮卑禿髪部(センビトクハツブ)系統の源氏(河南源氏)が新羅に移住後、一部の勢力が「源花(ゲンカ・ウォナ・ウォンファ)」や「花郎(カロウ・ファラン)」になり、後に日本へ渡来し1056年(天喜4年)に新羅三郎源義光の父である源頼義が、後冷泉天皇より下賜(カシ)された「日の丸御旗(ミキ)」と「楯無鎧(タテナシノヨロイ)」を嫡男義業ではなく、源義清に譲った。
後の代に、武田家に代々伝わり、惣領の印として武田家の家宝となる。
江戸幕末の1854年7月には、江戸幕府が日本の総船印(国旗)として定めており、背景には徳川慶喜の実父である常陸水戸藩主の徳川斉昭の計らいがあったとされる。
明治新政府についても、これを引き継いだ。
日本国になってからは、1999年(平成11年)8月13日に自公連立小渕恵三政権が「国旗・国歌法(国旗及び国歌に関する法律)」を公布・即日施行した。
また、他には地方行政により、国旗や国歌に関する条例を制定している自治体も存在する。
[ 匿名さん ]